今回は、イケメン俳優として人気のある伊勢谷友介さんを取り上げます。
伊勢谷友介さんは、会社を立ち上げ社長業もこなすイケメン俳優。リバースプロジェクトという社会貢献活動も行っています。
そんな伊勢谷友介さんは、3歳のときに両親が離婚し母子家庭の育ちだったそうです。伊勢谷友介さんの生い立ちをまとめました。
伊勢谷友介の生い立ちとプロフィール
名前:伊勢谷友介(いせや・ゆうすけ)
生年月日:1976年5月29日
出生地: 東京都世田谷区
身長:180 cm
血液型:A型
伊勢谷友介さんは、俳優業をこなす傍ら、自ら事務所を立ち上げリバースプロジェクトという社会貢献活動も行っています。
伊勢谷友介の幼少期
伊勢谷友介さんは東京都世田谷区の出身です。
父親は山本一男さん、母親は伊勢谷尤子さんです。
伊勢谷友介さんは、父親が53歳、母親が40歳のときに生まれました。
しかし、伊勢谷さんが3歳のときに両親が離婚。
離婚後は母親とともに実家の北海道函館市に移住しており、祖父母と一緒に幼少期を函館市で過ごしました。
幼少期は、ご近所のお母さんたちから「興味の人」と呼ばれるくらい好奇心旺盛な少年だったそうです。
・干からびたミミズを持ち帰る
・ゴキブリホイホイの中のゴキブリを必死で観察する
興味のままに行動する息子に対して、学校の教師をしていた母親の尤子さんは、
危険なこと・迷惑がかかること以外は、口出しはしなかったそう。
幼い頃から絵やモノづくりの才能があり、没頭すると食事がいらなくなるほど。
プラモデルを与えるとすぐに完成させてしまうので与えないようにしていたそう。
また、伊勢谷友介さんは、とても感性豊かな少年だったようです。
友介さんが4歳のとき、氷像フェスティバルで見た氷像がフェスティバル後に壊されているのを見てショックを受け、50~60枚の絵を描いたというエピソードがあります。
その絵には
「壊された氷像は鳥になって飛び立ち、仲間たちと出会い、天国に行くとそこはお花畑で……」(引用:conobie)
というストーリーがあったそうです。
友介さんの絵には必ずストーリーがあるのが特徴だったそうです。すごい才能ですね!
伊勢谷友介の小中高及び大学時代
伊勢谷友介さんは、小学校時代は函館で過ごしました。
中学は明かされていませんが、高校は東京都にある私立の男子校に進学しています。
中学・高校時代は特にクラブなどは所属していなかったようです。
ただ、幼少期から絵やモノづくりなどに強い関心を示してきたことからも、美術・芸術の才能はかなりのものだったでしょう。
高校時代は山本寛斎さんの影響でファッションデザイナーを目指していたそうで、東京藝術大学に進学しています。
さらに、東京藝術大学の在学中にニューヨーク大学に短期留学しました。
世界共通の英語が話せるように・・
という母親の教育方針もあり、12歳のときから英語教室に通っていたため、英語は得意だったようです。
また、伊勢谷友介さんはスポーツも得意で、学生時代には水泳のインストラクターをしており、子どもたちになつかれていたそうです。
伊勢谷友介の芸能活動
大学在学中の1996年(20歳)のとき、モデルとしての活動を開始しました。
CMや雑誌、ファッションショーなどに出演し活躍の幅を広げていきます。
なんと伊勢谷友介さんは、大学在学中に、ファッションブランド『PRADA』のミラノコレクションショーにも抜擢されています。
そんななか、伊勢谷友介さんは是枝監督の目に止まり、
1998年(22歳)のときには同監督の映画『ワンダフル・ライフ』で俳優デビューを果たしました。
一般的に撮影では事前に脚本があって俳優は台詞を覚えて言うのが普通です。
しかし、初めての是枝監督との映画撮影では
脚本がないのが普通
という実験的な要素が強い現場だったようです。
当時の是枝監督の撮影の様子を伊勢谷友介さんは
不確定要素のなかで作品を生み出していけることが驚愕だった
と回想しています。(出典:CINEMANET)
その後に、役者としてのオファーも増えていきますが、
是枝式の撮影方法は別の現場では通用しなかったため、
役者としての常識を知らずに失敗する場面も少なからずあったようです。
そして、伊勢谷友介さんの名前が一躍有名になる報道が勃発します!
1999年には当時人気絶頂だった広末涼子さんとの熱愛が週刊誌にキャッチされました。
(詳しい記事はこちらに書いています↓)
これにより伊勢谷友介さんの名前は一躍知られるようになり
その後の仕事のオファーも増えていきました。
俳優業で着実に実績を重ねた伊勢谷友介さんは、2001年(25歳)のときには、初めて映画監督にも挑戦しました。
伊勢谷友介のリバースプロジェクト
伊勢谷友介さんはファッション業、俳優業、映画監督業、と目覚ましい活躍ぶりです。
しかし、25歳で映画監督になる夢をかなえた伊勢谷さんは
夢をかなえたことで、僕がしたかったことじゃないと気付きました(引用:オリコンニュース)
と話しており、俳優・監督以外の活動に取り組むようになります。
人間が住める未来をどうやって創造できるのか、そこに自分の命を使いたい。(引用:オリコンニュース)
2008年(32歳)のときに、リバースプロジェクトを立ち上げ、俳優・監督業の傍ら社会貢献活動を開始しました。
東日本大震災の復興支援など積極的に取り組んでいます。
さらにルークスという学校法人(高校)も設立しました。
まとめ
今回は、伊勢谷友介さんの生い立ちについてまとめました。
幼少期に両親が離婚して母子家庭という生い立ちでしたが、目覚ましい活躍ぶりで俳優や監督業だけでなく、社会貢献に目を向けて活動する姿には感動しますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。