ミュージカル界では、プリンスとして有名な山崎育三郎さん。家族が多いにも関わらず「裕福な暮らしをしていた」と話題になっています。
ところがその一方では、学生時代に祖父母の介護を1人で担うという壮絶な過去を持っているようです。
現在、社会問題にもなっているヤングケアラーだったのでしょうか。
そこでこの記事では、俳優の山崎育三郎さんの生い立ちにまつわる
- 家族8人の裕福な家庭
- 祖父母を1人で介護した壮絶な高校時代
- ヤングケアラーになった理由
- 大学中退の理由
について詳しく紹介します。
ぜひ最後までお付き合いください。
山崎育三郎の生い立ち①子供時代は祖父母と家族の8人暮らしで裕福だった?
- 名前:山崎育三郎(やまざき いくさぶろう)
- 生年月日:1986年1月18日
- 出身:東京都
- 身長:177 cm
- 血液型:A型
- 活動期間:2007年~
山崎育三郎さんは4人兄弟の3男として誕生。幼少時には祖父母と暮らしていました。
つまり、山崎育三郎さんは、両親と祖父母、兄弟4人という8人暮らし!
とても賑やかそうな家族ですよね(^^)
山崎育三郎さんと言えば、いくつかお金持ちのエピソードがあります。
具体的なエピソードとして、山崎育三郎さん含め兄弟4人全員に留学経験があるということ。
4人全員進学することはもちろん、金銭面でも大変だと思います。それに加えて4人が留学って、凄いですよね!
ちなみに、山崎育三郎さんの出身高校は東邦音楽大学附属東邦高等学校。
私立の学校で、しかも音楽系なので、ここからも『実家がお金持ち』ということがわかります。
山崎育三郎さんの両親については、父親が大手鉄鋼メーカーで有名な「新日本製鉄」勤務。母親は音楽の先生をされていたようです。
山崎育三郎さんは過去に出演した番組で、実家について次のように明かしていました。
- 母親の実家には、庭にピザ窯がある
- 母親の実家は、ヤギとアヒルを飼っている
- 山崎育三郎さんの実家は、高級住宅街で有名な港区高輪
- 当時の音楽教室のレッスン代が、1時間3万円から5万円
実家が高輪ということなので、両親の職業の影響で裕福だった可能性もありますね。
こちらは、山崎育三郎さんがインスタにアップした母親の若い頃の写真です。
とてもキレイなお母さまですよね。
母親は若い頃、宝塚を志望していたとされています。
山崎育三郎の生い立ち②祖父母を1人で介護した高校時代が壮絶だった
山崎育三郎さんは、過去にインタビューで祖父母について語っていました。
それは高校時代に2年間、祖父母を1人で介護していたということ。
「この2年で精神がすごく強くなった」
「僕は何にでもなりたいし、何にでもなれると思っています」
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/2ee3853320534ed4cca58c8e2669fc12264c29ad
現在、社会問題にもなっているヤングケアラー。
本来は大人が担うようなケア責任を、18歳未満の子どもが引き受けている状況が問題視されているようです。
1番楽しい時期に、介護の経験は大変だったと思います。
しかし両親が居るのに、なぜ山崎育三郎さんが介護することとなったのでしょうか。
山崎育三郎がヤングケアラーになった理由
山崎育三郎さんがヤングケアラーになった理由は次の通りです。
- 両親の離婚
- 2人の兄は海外留学中
- 弟は野球部で寮生活をしていた
山崎育三郎さんは、アメリカへ留学しています。
海外留学の経験していた2人の兄に影響され、1年間留学。アメリカで英語と音楽の勉強をし、帰国したそうです。
アメリカから帰国した山崎育三郎を待っていたのは祖父母の介護。
- 僕が子どものころ、家族と祖父母は一緒の家に暮らしていた。
- 祖母がおばあちゃんと呼ばれるのを嫌がったので、うちはなぜか2人のことをパパ・ママと呼んでいた。
- ある時、2人とも脳梗塞を患い、介護が必要になった。
- 祖父は上手く言葉が話せなくなり、歩くのも困難に。
- 祖母は右半身不随で、車椅子での生活になった。
- そんな中、両親の離婚が決まり、長男はアメリカ。
- 次男はニュージーランド。
- 弟は、香川県での寮生活。
- 家族はバラバラ。
家族の問題でヤングケアラーとなった山崎育三郎さん。
「朝食を作って一緒に食べて、ホームヘルパーさんが来たら学校に行く。帰ったら、そのヘルパーの方が作ってくれた夕食を食べさせて、お風呂に入れる日々でした」
引用:https://www.sanspo.com/geino/news/20160827/int16082705030001-n3.html
この生活は、祖父母が介護施設に入るまで2~3年続いていたそうです。
山崎育三郎さんは当時について、「なんで自分が」と思うこともあったそう。
しかし、祖父母が大好きだった山崎育三郎さんは、祖父母のために奮闘したと話していました。
高校時代に介護なんて、決して真似出来ないですよね・・
早くに介護施設に、という考えもあったかと思います。
しかし祖父母が大好きであるからこそ、自身が介護するという選択をしたのかもしれません!
山崎育三郎の生い立ち③大学中退しミュージカル俳優へ!
山崎育三郎さんは、声楽科のある『東邦大学付属東邦高等学校声楽家』に進学。
高校2年生のときに、アメリカのノースカントリー・ハイスクールへ語学留学しました。
留学から帰国後は『東京音楽大学声楽演奏家コース』に進学たのですが、2年で大学を中退。
中退の理由は、21歳の時にミュージカルデビューが決まったことが関係しているようです。
山崎育三郎さんは大学を中退した翌年、ミュージカル「レ・ミゼラブル」にてマリウス役でデビューを果たしています。
恐らく、学業とミュージカルとの両立が難しかったのではないでしょうか。
また、23歳のときには「モーツァルト!」で、念願だった帝国劇場初主演も果たした山崎育三郎さん。
音大を中退という選択肢は、とても悩んだことだと思います。
音大に行っても、卒業後に現役で活躍する人はほんの一握り。一方、ミュージカル界1本にしたとしても、絶対成功する!という保証はありません。
しかし、山崎育三郎さんの場合は「ミュージカル界のプリンス」と言われるまで活躍。
表には言わないものの、ここまでかなり努力されたのではないでしょうか。
音大を中退して、ミュージカル界を選択したことは、決して間違っていなかったと思います!
まとめ
ミュージカル界のプリンス、山崎育三郎さんの生い立ちについてまとめました!
高校時代に祖父母の介護をしていたことは、なかなか出来ることではないですよね(^^;)
祖父母のことを、とても大切に思っていたことが伝わります!
また、ミュージカルデビューがきっかけで、音大を中退した山崎育三郎さん。
この決断はとても勇気のある決断だったのではないでしょうか。
今後の活躍にも注目したいと思います!