世界的デザイナーとして有名な森英恵さん。
御年94歳(執筆時)の現在も、生き生きとした美しい姿で働く女性たちに元気を与えてくれています。
そんな森英恵さんですが、若い頃はさらに美人だったといま話題になっています!
森英恵さんの幼少期から、デザイナーの原点ともいえる「ひよしや」設立までの経歴もあわせてみていきましょう!
目次
森英恵の幼少期の秘蔵写真!医者の父親を持つセレブお嬢様だった

名前:森英恵(もりはなえ)
生年月日:1926年1月8日
出身:島根県
大学:東京女子大学
職業:デザイナー
森英恵さんの幼少期

森英恵さんは島根県鹿足郡六日市町(現在の吉賀町)で生まれました。
兄が2人と姉、妹の5人きょうだいで、森英恵さんは次女として育ちます。
開業医だった森英恵さんの父親は、いつもオーダーしたスーツを着るセンスの良い人でした。
そんな父親は森英恵さんたち幼い姉妹の着る服を、東京の三越や大阪の髙島屋からカタログを取り寄せて注文していたそうです。
「ハイカラすぎて恥ずかしかった」とのちに森英恵さんはインタビューで当時のことを語っています。
森英恵さんの父親は他にも、日曜大工や庭いじりなどモノづくりが好きでした。
さらに森英恵さんの母親も編み物や裁縫が得意だったので、デザイナーとしての森英恵さんの血は両親から立派に受け継いでいたようです。
幼い頃の森英恵さんは、ファッションへ特別興味があったわけではなかったんですね。
それでもこの時代に有名百貨店から取り寄せた服を着せてもらえるなんて、とってもセレブです!
森英恵さんの学生時代

1935年 森英恵さんは小学校4年生のときに一家で上京。
東京の桃井第三小学校へ転校しました。
その後、東京都立桜町高等女学校へすすみます。
1941年 森英恵さんが15歳のときに太平洋戦争がはじまりました。
森英恵さんも昼は勤労奉仕のため工場で働きました。
そして森英恵さんが高校卒業後の進路を考えていたときのことです。
5人きょうだい全員を医者にするつもりだった父親からこんなことを言われました。
「自立するのであれば、医師になるか、そうでなければ、お嫁さんになること」
他のきょうだいたちが医学の道を選ぶ中、森英恵さんだけは違いました。
父の元に来る患者さんは、痛そうだったり苦しそうだったり、つらい仕事だと子供心に思ったんです。
引用:https://mainichi.jp/articles/20170619/ddm/014/070/055000c
反対する父親を押し切り、森英恵さんは東京女子大学へ進学しました。
森英恵の若い頃画像が美人!ひよしや設立までの経歴は?

結婚そしてデザイナーの道へ

1948年 大学卒業後、森英恵さん22歳のころ。
学生時代に勤労動員の工場で出会った元陸軍主計少佐の森賢さんと結婚。
結婚後は、夫の家業である繊維会社を手伝うことになります。
ところが結婚して3か月で夫の帰りを待つだけの専業主婦に飽きてしまった森英恵さんは、洋裁学校「ドレスメーカー女学院」に通いはじめました。
「主人のシャツや、やがて生まれるであろう子どもの服ぐらいは作ってあげたい」との思いからだった。
引用:https://dot.asahi.com/wa/2015010800052.html?page=1
デザイナー森英恵への第一歩ですね。
このとき森英恵さんのお腹の中には赤ちゃんがいたそうです。
妊娠中でも自分の夢をかなえるため学校に通う森英恵さん、パワフルです!
1951年「ひよしや」設立

森英恵さんは洋裁の勉強をするうちに、自分が作った服を人に着せることが楽しくなり、1951年 新宿にスタジオ「ひよしや」を設立させます。

「ひよしや」が入るビルは木造2階建てで、1階には靴屋さん。
森英恵さんは、どうやってお客さんを2階の「ひよしや」へ集めようか悩みました。
武蔵野館に面している部分を全面ガラス張りにしたの。アメリカ製のマネキン人形を2体入れて、それに自分の作品を着せて――
引用:https://dot.asahi.com/wa/2015010800052.html?page=1
まだ日本ではショーウィンドーが珍しかった頃なので、「ひよしや」の噂はすぐに広まり、連日多くの人が森英恵さんの作った服を求めてやってきました。
あまりの繁盛っぷりにマネキンに着せる服すら無くなってしまい、ときにはただの布地をマネキンに巻いて飾ったこともあったそうです。

その後森英恵さんは、石原裕次郎の『太陽の季節』の衣装を担当したことをきっかけに、映画会社から依頼が殺到します。
『狂った果実』、『彼岸花』、『秋日和』、『秋刀魚の味』、『四十八歳の抵抗』など、 10年間で200本以上の映画の衣装を手掛ける有名デザイナーとして人々に支持されていくことになるのです。
まとめ
森英恵さん、若い頃からとてもお綺麗でしたね!
幼少期から開業医の父親に溺愛され、裕福な家庭でセレブ生活を送っていた森英恵さん。
自分で洋服を作るようになったのは、結婚して子どもが生まれてからでした。
「ひよしや」を設立後、森英恵さんはデザイナーとして人々に広く知られていきます。
いまや世界が認める有名デザイナー森英恵さんのルーツを紐解く貴重な機会でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。