2020年9月27日に死去した女優の竹内結子さん。数々の映画やドラマで活躍した日本を代表する名女優ですね。
そんな竹内結子さんは、どんな幼少期を過ごしたのでしょうか?
今日ここでは竹内結子さんの生い立ちにまつわる
- 両親の離婚で義兄弟6人
- 幼少期に家出
- 継母は母の友人
- 若い頃の性格
- デビュー前に憧れた俳優
について詳しく紹介します。
ぜひ、最後までお付き合いくださいね。
竹内結子の複雑な生い立ち
- 名前:竹内結子(たけうちゆうこ)
- 生年月日:1980年4月1日
- 出身:埼玉県
- 所属:スターダストプロモーション
中林大樹さんとの再婚で次男も誕生し、幸せいっぱいと報じられていた女優の竹内結子さん。
2022年9月27日、40歳という若さで亡くりました。
そんな竹内結子さんの「生い立ちが複雑」と話題になっているようです。
竹内結子さんはどのような家庭で幼少期を過ごしたのでしょうか。
生い立ち①厳格な父親
竹内結子さんは埼玉県出身。3人姉妹の末っ子として誕生します。
小・中学校時代の竹内さんは、父親の仕事の都合で、埼玉県内の学校を転々としていたそうです。
中学校を卒業してすぐの春休みに原宿でスカウトされ、芸能事務所『スターダストプロモーション』に所属し活動を開始しました。
竹内結子さんは、どんなときもお味噌汁が食卓に並ぶ素敵な家庭で育ったそうです。
竹内結子さんは幼少期のエピソードを次のように話しています。
「竹内家はどんな食事でもお味噌汁がついていました。カレーの日でもシチューの日でもお味噌汁」
引用:https://times.abema.tv/news-article/7003442
幸せいっぱいに見える幼少期ですが、竹内結子さんの父親はとても厳格だったとか。
「言うことを聞かないと鉄拳制裁も辞さない、昭和のお父さんという感じの方で、結子ちゃんも“よく殴られた”と話していました。
厳格な父親に反発したのでしょうか。
実は幼少期に「家出をした」という驚きのエピソードが明かされています。
生い立ち②若い頃の家出秘話
実は竹内結子さんは、若い頃の驚きのエピソードを明かしています。
思春期の頃は親をうっとおしく思うこともあったとか。
竹内:私も思春期の頃は正直、家族のことを“うっとおしい”などと思っていたりもしました引用:https://mdpr.jp/disney/detail/1502982
映画『インサイド・ヘッド』のインタビュートークで、大竹しのぶさんに次のように話していました。
竹内:「ライリーが家出をしようと思った気持ちがちょっぴりわかる気がするんです。実はわたし、小学生の低学年のときに家出をしたことがあるんです。でも、どこかに行く前に、ご近所の方にすぐ見つかってしまい家出未遂に終わりましたけど」引用:https://www.cinematoday.jp/news/N0074946
竹内;「詳しくは覚えていないんですけど、自分はここにいちゃいけないんだ!って思ったんです。ただ、しばらくして心細くなったのか、泣きながら歩いていたみたいです」引用:https://www.cinematoday.jp/news/N0074946
小学校の低学年で家出をした竹内結子さん。厳格な父親に対する反抗心が招いた家出だったのかもしれません。
生い立ち③両親の離婚と母の死
竹内結子さんの母親は、玄米や無農薬野菜を使った料理をする優しい女性だったようです。
ところが、そんな母親が癌を患います。
竹内結子さんは動けなくなった母親を必死で看病してたそうですが、突如として両親が離婚。
離婚後も元夫婦は同居を続けていため、いまも離婚を知らない親族もいるようです。
そして1994年、竹内さんが14歳のときに母親は死去。
最愛の母が亡くなり、竹内さんの心は空っぽになったといいますが、空虚感を埋めるため芸能活動に励んでいました。
生い立ち④義兄弟6人継母は母の友人
母親と死別したの翌年、父親が再婚。再婚相手の女性は亡くなった母の友人で、男の子3人の連れ子がいたそうです。
元々竹内家には3人の娘がいました。そこに再婚相手の息子3人が加わり、義兄弟6人の大家族になります。
母親を癌で亡くした竹内さんは、急激な家庭環境の変化に馴染めなかったとか。3姉妹の末っ子ではあるものの、父親や継母に甘えることができずにいたようです。
そんな竹内結子さんの心の支えは、母方の祖母。
学校帰りやレッスンの後、祖母の家に寄って夕飯を一緒に食べてから、実家に帰宅するという生活を送っていました。
あまり実家のことを語らなかったという竹内結子さんでしたが、メディアのインタビューで家族の話をしたことがあるそうです。
一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた(中略)私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった。
幼い頃の自分を荷物と表現している竹内さん。複雑な家庭環境だったことが伝わりますね。
竹内結子の幼少期や若い頃の性格
竹内結子さんといえば清純派女優のイメージ。
しかし、竹内結子さんはサバサバした男勝りの性格だったといいます。
彼女自身もおてんばでした。小学校を転校する前のお別れ会で、結子ちゃんは楠田枝里子さんのモノマネをしてクラス中を笑わせていました。明るくて目がくりくりして、かわいい人気者でした。
おてんばな反面、ひょうきんな性格でもあったようですね。
保育園の時から小学校の高学年まで、体操と新体操をやっていた竹内結子さん。
小さい頃になりたかった職業は「体操の先生」で、小学生の時のあだ名は「ケツコ」でした。
ケツコというあだ名の由来は、結子がケツコと読めるためとのこと。
そんな竹内結子さんの憧れは、意外な人物だったようです。
竹内結子の憧れの人は宇梶剛士だった
竹内結子さんは「生まれ変わったら何になりたい?」という問いに対して「男性」と回答したようです。
“宇梶さんに生まれ変わってケンカがしたい”
と話していたとか。
宇梶剛士さんは、高校時代に暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所した過去があります。
出所後に高校を中退し、俳優になった波乱万丈な人生を送っているようです。
暴走族時代の宇梶剛士さんのお写真はこちら。
宇梶剛士さんとケンカしたい…なんてちょっと驚きですよね。
清純派のイメージとは真反対の性格だったのかもしれません!
竹内結子の生い立ちが複雑【まとめ】
女優・竹内結子さんの生い立ちを紹介しました。
最愛の母親が癌を患ったタイミングで、両親は離婚。母と死別した1年後に、父親は母の友人と連れ子再婚しました。
父親の再婚で義兄弟6人の賑やかな家庭となった竹内家。
しかし、竹内結子さんは父や継母に甘えることができず、自身を荷物と感じながら幼少期を過ごしています。
中林大樹さんとの再婚で、2人の息子にも恵まれた竹内結子さん。幸せいっぱいの家庭を築いたものと思われていたのですが…。
40歳という若さで自殺という形で亡くなりました。
竹内結子さんのご冥福をお祈り申し上げます。