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明石家さんま【若い頃】イケメン画像50選!昔のレギュラー番組や家族写真を時系列で詳しく



お笑い界の第一線で活躍されている明石家さんまさん。2024年現在の年齢は68歳です。

一般的には高齢者と呼ばれる年齢ですが、今もなおそのパワーは衰えることを知りません。

そんな明石家さんまさんの若かい頃がイケメンだったというのは知っていますか?

この記事では、明石家さんまさんにまつわる

  • 若い頃のイケメン画像50選
  • 昔のレギュラー番組や家族写真

について時系列で紹介します。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね!





明石家さんま【若い頃】のイケメン画像50選!

明石家さんまさんは、1977年から45年間レギュラー番組を持ち続けており、業界内では「最もテレビに出ている男」と呼ばれているとか。

2023年現在の年齢は68歳という明石家さんまさんですが、若い頃がイケメンと話題になっているようです。

そこで明石家さんまさんの、若い頃のイケメン画像50選を時系列で紹介します。

明石家さんま幼少期から20代前半

1955年7月1日、杉本家の次男として和歌山県で生まれた明石家さんまさん。その後、家族で奈良県奈良市に引っ越します。

こちらは、幼少期の明石家さんまさん。

さんまさん自身が「唯一おとなしかった」と語っていた幼少期。可愛らしいですね。

奈良商業高校時代にはサッカー部に所属してたそうです。当時の写真がこちら。

10代の頃のさんまさんですが、イケメンですよね。

こちらの画像は卒アルでしょうか。珍しく真面目な顔をしています。

高校時代には、授業を妨害する『イタズラ』を繰り返し、学校中の人気者だったそうです。

この頃から既に、お笑いのセンスを磨いていたのかもしれませんね。

①落語家・笑福亭さんま

明石家さんまさんといえば、老若男女に絶大な人気を誇るお笑い芸人ですが、実はデビュー当初は『落語家』だったことを知っていますか?

高校三年生の時に二代目笑福亭松之助に弟子入りした明石家さんまさんは、1974年に高座名・笑福亭さんまとして落語家デビュー。

落語家時代の明石家さんまさんですが、凛々しい顔でテレビで見る印象とは全然違いますよね!

1976年にテレビデビューを果たし、明石家さんまとしてテレビ番組に出演するように。

こちらは、当時20歳の明石家さんまさん。デビュー番組でもある『11PM』に出演した時の画像です。

この明石家という名前の由来ですが、師匠である笑福亭松之助の本名・明石徳三からもらい受けたといいます。

左側に写っているのが師匠の笑福亭松之助さんです。

②ヤングおーおー!

明石家さんまさんは1976年、毎日放送のバラエティ番組「ヤングおーおー!」に初のレギュラー出演。

当時22歳の明石家さんまさんです。

この番組は吉本興業の若手芸人の登竜門的番組と言われており、明石家さんまさんのブレイクのきっかけとなった番組と言われていました。

明石家さんまさんが出演しはじめた当時は、メイン司会者は桂三枝さんでしたが、のちに才能を発揮してメイン司会者に抜擢されたそう。

さすが、明石家さんまさんですよね!

③ドラマ初出演

明石家さんまさんは1978年、当時23歳でドラマ初出演を果たします。『母の償い』という同ドラマには、酒屋の配達員として出演。

さんまさんは目立ちたいがために、アドリブ演技を連発したといいます。

俳優というより芸人感が強いですね!それにしてもガリガリですね

④小林繁投手のものまねでブレイク

24歳になった明石家さんまさんは、小林繁投手のものまねを披露し、関西で一躍ブレイクしました。

さんまさんと小林繁投手は、当時顔が似てると言われていたようです。

確かに、雰囲気がよく似てる。

当時のお二人は、顔の輪郭や”歯並び”が似てると騒がれたそうです。

小林繁さんのものまねでブレイクした明石家さんまさんは、レギュラー番組を14本も抱えるアイドル的な存在となりました。

明石家さんま20代後半から30代前半

続いては、明石家さんまさんの人気が全国区になった20代後半を当時の写真とともにご紹介します!

①ドラマ『天皇の料理番』

こちらは1980年制作のテレビドラマ『天皇の料理番』に出演した、明石家さんまさんです。

念願だった堺正章さんとの共演が実現したといいます。

俳優さんに負けずイケメンですね!

このドラマでさんまさんは、初のキスシーンにも挑戦。

テレビに舞台にドラマにも出演していて、当時の忙しさは大変なものがあっただろうと想像できますね。

このドラマがきっかけで、役者そして全国区に進出しました。人気もうなぎ上りの状態ですね!

②創作落語の会

こちらは、1981年に桂三枝(桂文枝)さんが旗揚げした創作落語の会に出演した時の写真です。

髪も伸びていて、かなりイケメンになっていますよね!

実は、創作落語の会へのオファーがあったのは高座の2週間前。

さんまさんは「2週間で作れるか、アホ」と言いつつも、当日は『神様への願い』という漫談風創作落語を見事に演じたそうです。

さんまさんらしいエピソードですよね。

③ドラマ・裸の大将

こちらは、1981年に放送されたドラマ「裸の大将放浪記」にゲスト出演した時のものです。

顔がシュッとしたイケメンですね!

④オレたちひょうきん族

こちらは、明石家さんまさんの人気を全国区にした超人気番組「オレたちひょうきん族」の画像です。

ビートたけしさん演じるタケちゃんマンと、敵キャラブラックデビルを演じている明石家さんまさん。若いですよね。

実は番組が始まった当時、ブラックデビル役を演じていたのは高田純次さんだったとか。

ところが、第2回目の収録前に高田さんが『おたふく』に罹り、代役として登場したのが明石家さんまさんでした。

代役になった理由は、出演者の中で唯一高田さんと衣装のサイズが同じだったから。

当初は代役で終わる予定でしたが、さんまさんのブラックデビルがあまりにもウケたため、レギュラーの座を射止めたといいます。

強運を味方につけたさんまさんは、その後もさまざまな敵キャラを演じ続けます。

かなりインパクトのあるキャラクターですね。

こちらは『ひょうきんんベストテン』での一幕。

ロン毛も似合っていて、カッコいいですよね。

懺悔室で水を浴びるさんまさん。

こちらの画像は、休憩中のビートたけしさんと明石家さんまさんでしょうか。

それにしても、お二人とも若いですし、めちゃくちゃイケメンですよね。

オレたちひょうきん族が開始した当初、裏番組では『8時だョ!全員集合』が放送されていました。

今となっては大スターとなった方達が当時はライバルとして競っていたなんて、当時のお笑いブームはすごいですよね!

⑤笑っていいとも

こちらは、1984年から1995年までレギュラー出演していた長寿番組「笑っていいとも」時代。

タモリさんとの雑談コーナーから始まった、お二人のトーク企画がスタート。

数々の恋愛ネタで日本一の最低男と呼ばれるようになった明石家さんまさんですが、人気や知名度は不動のものとなります。

ビートたけしさんの乱入で、お笑い界の『BIG3』が共演したことも。

それにしても皆さん若いですよね。

笑っていいともの最終回には、ビートたけしさんがテレフォンゲストとして出演。なんと翌日のテレフォンゲストには明石家さんまさんを指名します。

お笑い界のBIG3が共演したことで、とても話題になりました。

⑥男女7人夏物語

そしてこちらは、1986年7月から始まったテレビドラマ『男女7人夏物語』の画像。

俳優・明石家さんまさんの代表作とも言える作品で、トレンディドラマの先駆けとなりました。

このドラマで明石家さんまさんと大竹しのぶさんが共演したことがきっかけで、結婚したのは有名な話ですよね!

同作品の中でお二人は、キスシーンも演じました。

お二人の掛け合いの面白さから、最高視聴率は『31%』を記録。続編の男女7人秋物語も放送されます。

2015年には、夏物語のメンバーが29年ぶりに集結。

当時のファンから歓喜の声があがったようですよ。

⑦萩本欽一と共演

1987年当時、視聴率100%男と呼ばれた萩本欽一さん。欽ちゃんの愛称で親しまれており、お笑い界では一目置かれる存在でした。

そんな萩本欽一さんに子供の頃から憧れていたという明石家さんまさんは、なんと『欽ドン!スペシャル』に出演し、欽ちゃんと夢の共演を果たします。

1987年当時31歳のさんまさん。大御所を前にしても全く動じず、マシンガントークで会場を沸かせたようです。

お二人の初共演は、今でも『伝説の夜』として語り継がれています。

⑧あっぱれさんま大先生

明石家さんまさんと子役たちの絡みがウケて、大人気となった『あっぱれさんま大先生』の画像。

1988年から始まった同番組。子役たちとのトークは、ほぼアドリブだったみたいですよ。

この番組に出演した子役たちも、のちに芸能界で活躍していますね。

内山信二さんは、あまり変わっていませんね。

前田愛さん・落合モトキさん・加藤諒さんも同番組の出身者です。

卒業スペシャルでは、涙を浮かべたさんまさんの姿も。

普段のバラエティ番組では絶対に見れない、さんまさんの優しい一面が溢れるシーンですね。

それにしても、若い頃のさんまさんはカッコいいですね。

多くのレギュラー番組を抱えた明石家さんまさん。その人気は全国区になったのですが、人気に陰りが見え始めた時期があったそうです。

明石家さんま結婚で人気は急降下?

1988年9月29日、女優の大竹しのぶさんと結婚した明石家さんまさん。お二人は『男女7人夏物語』の共演がきっかけで、交際に発展したといいます。

メガネ姿のさんまさんもカッコいいですね。1989年には、長女IMARUさんが誕生。

お二人とも若く幸せそうな雰囲気ですよね!

結婚で女性ファン離れが進んだというさんまさんは、家族と過ごす時間を優先し仕事をセーブ。

家庭を守るために保身に走ってしまったのでしょうか。結婚後は人気が急降下したといいます。

結婚してからというもの、さんまさんには「面白くない」「つまらない」「さんまも終わった」と、辛辣な声が飛び交ったようです。

5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』では、15位にまで急落するなど、さんまさんの人気は低迷。

その後1992年9月、さんまさんと大竹しのぶさんは離婚します。

離婚会見ではおでこにバツイチを意味する『×』を書いて登場したものの、全くウケなかったそうです。

離婚後『自虐ネタ』で人気も復活!

離婚してからというもの、明石家さんまさんは水を得た魚のようだったとか。

離婚で背負った8億5千万円の豪邸が中々売却できずにいたさんまさんは、同情するなら家を買ってという自虐ネタもギャグにしていました。

また時には、元妻大竹しのぶさんと過ごした夫婦時代の話題もネタにしていたそうです。

結婚中には断っていたオファーも受けるようになり、ローン返済のため仕事に没頭していたさんまさん。

そんな努力の甲斐もあって、1995年の好きなタレント調査では6年ぶりに1位に返り咲きました。

その後の活躍は、皆さんご存じかと思います。1977年から45年間レギュラー番組を持ち続けている明石家さんまさんは、業界内で「最もテレビに出ている男」と呼ばれているそう。

ちなみに、離婚後も大竹しのぶさんやIMARUさん、長男の二千翔(にちか)さんとは良好な関係が続いているといいます。

とても素敵な関係です!さんまさんの人柄がなせる業なのかもしれませんね。

明石家さんまの若い頃【まとめ】

ここまで明石家さんまさんの若い頃の画像や、若い頃のレギュラー番組を紹介しました。

昔のさんまさんはやっぱりイケメンでしたね!

初めは落語家としてスタートした明石家さんまさんでしたが、その後お笑い芸人になり人気が全国区になりす。

今もなお司会業などで第一線で活躍されていて、お笑いの神様と呼ばれる存在となった明石家さんまさん。

これからの活躍もとても楽しみですね!

ここまでお読み頂きありがとうございました!

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