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中村玉緒と旦那・勝新太郎【馴れ初めデキ婚?】若い頃の伝説&豪快エピソードも詳しく

天然キャラでバラエティ番組に引っ張りだこだった女優中村玉緒さん。

そんな中村玉緒さんは現在、老人ホームに入所していると報じられています。

1962年に俳優の勝新太郎さんと結婚した中村玉緒さんは、2人の子供にも恵まれたそうです。

しかし夫婦の人生は、あまりにも波乱万丈だったとか。

そこでここでは、中村玉緒さんにまつわる

  • 旦那(夫)勝新太郎との馴れ初めはデキ婚
  • 若い頃の夫婦画像
  • 夫・勝新太郎の伝説&豪快エピソード

について詳しく紹介します。

ぜひ最後までお付き合いください。

【画像】中村玉緒と旦那(夫)勝新太郎の出会いは共演!

中村玉緒さんと旦那・勝新太郎さんの出会いは共演でした。

お二人は”大映”の同期。1955年中村さん16歳、勝さん24歳の時に映画『かんかん虫は唄う』で初共演します。

このとき中村玉緒さんは勝新太郎さんに対して、ほのかな恋心を抱いたそうですが、どちらかと言えばファンに近い感情だったとか。

その後1960年に映画『不知火検校』にて、2度目の共演をしたふたり。今度は勝さんの方が、玉緒さんを好きになってしまったそうです。

中村玉緒さんの女優としてのひたむきな姿に魅了された勝新太郎さんは、自宅で開いたパーティーに中村さんを誘いました。

その席で、勝さんのマネージャーから「勝新太郎のことが好きですか?」と聞かれた中村玉緒さん。

とっさのことに驚いき「好きか嫌いかでいったら、好きです」と答えたようです。

このパーティーの1週間後、勝新太郎さんから結婚を前提とした交際を申し込まれ、二人のお付き合いがスタート。

実は、中村玉緒さんの父は歌舞伎俳優二代目・中村鴈治郎さんです。

二世俳優でお嬢様育ちの中村さんは、父親から勝新太郎さんとの交際を反対されます。

勝新太郎さんと言えば「俺から遊びを取ったら何も残らない」と豪語し、毎晩のように豪遊していたのは有名な話。

玉緒さんの父親・二代目中村鴈治郎さんが心配する気持ちも分かりますね。

しかし破天荒なイメージとは裏腹に、実際の勝さんはとてもシャイな男性。玉緒さんに対する純愛を目の当たりて、父親の気持ちも変わていったそうです。

中村玉緒と勝新太郎の馴れ初めはデキ婚?

中村玉緒さんと勝新太郎さんは1962年に結婚。

当時、勝新太郎さんは31歳で中村玉緒さんは23歳でした。

こちらは、中村玉緒さんと勝新太郎さんの結婚式の写真です。

実は、このとき妻の玉緒さんは妊娠中。つまりお二人の結婚はデキ婚だったということです。

当時としては珍しい『できちゃった婚』に加え、大スター同士の結婚はメディアで大々的に報じられたようですよ。

中村玉緒さんは勝さんとのデキ婚の真相について、次のように語っています。

子供は婚前交渉といいますか…2、3か月前に。

主人がいる東京に通いに行っていた時に(子供が)できた。それで結婚の時には、おなかが少し大きかったんです。

23歳という若さで結婚した中村玉緒さん。

所属事務である大映の社長からは、1年婚約を待つように言われていたそうですが、妊娠をきっかけに結婚されたそうです。

8歳年上の勝新太郎さんとの結婚をきっかけに、お嬢様女優・中村玉緒さんの波乱万丈な人生が始まります。

中村玉緒と勝新太郎の波乱万丈な人生!

映画『座頭市』シリーズで名前を轟かせた勝新太郎さん。

そんな勝さんは長唄三味線方の杵屋勝東治さんと妻・八重子さんの次男として誕生。実兄は俳優の若山富三郎さんです。

勝さんは1960年代の後半「大映ナンバーワン」の役者として活躍。映画1本のギャラは500万円だったとされています。

この当時、大卒の初任給は1万3千円ほど。勝さんがいかに稼いでいたのかわかりますね。

市川雷蔵さんと共に、大映の大黒柱として映画界を牽引してきた勝さんでしたが、その人生はあまりにも破天荒だったとか。

今でも芸能界の伝説として語られている、勝新太郎さんの豪快エピソードを紹介します。

勝新太郎伝説①飲食代100人分をおごる

勝新の愛称で親しまれた勝新太郎さん。愛嬌のある人柄と太っ腹な性格でファンを魅了していたそうです。

酒豪で有名な勝さんは、よくスタッフを引き連れて飲みに出かけていました。

当初は10人ほどだったメンバーが、いつしか100人以上に増えていることもしばしば。

その中には見ず知らずの一般客もいたそうですが、勝さんは100人分の飲食代を全ておごっていたそうです。

時には、その場に居合わせた一般の方にチップまで渡していたという勝新太郎さん。

これらのチップには、一生懸命に生きている一般人の生の演技を見させてもらったことへの感謝の気持ちが込められていました。

勝新太郎伝説②12億の負債を抱える

勝新太郎さんは所属先の大映から独立し、1967年に『勝プロダクション』を設立。

1974年から1979年にかけて放送されたドラマ「座頭市」は、勝さんが演出と脚本を手掛けたそうです。

シリーズ化された同ドラマは大ヒット。勝プロダクションは軌道に乗っていたように見えたのですが…。

1980年に製作したドラマ『警視-K』の予算オーバーと途中打ち切りが原因で、12億円の負債を抱えて倒産します。

借金に負けない宣言をした勝さんは翌年、妻の中村玉緒さんを社長にした勝プロモーションを設立。

新会社を設立したとはゆえ、勝さんの借金がなくなったワケではありません。

そんな状況にも関わらず、勝さんは借金で豪遊する生活を続けていたようです。

勝新太郎伝説③座頭市の殺陣で死亡事故

勝新太郎さんは1989年、自らの製作・監督・脚本・主演により映画『座頭市』を完成させました。

しかし、この撮影中に「斬られ役の役者を誤って真剣で斬りつけ死亡させてしまう」という事件を起こします。

殺陣シーンで相手を死亡させてしまったのは、勝新太郎さんと中村玉緒さんの長男だったとか。

父親の作品で俳優デビューした長男は、殺陣シーンのリハーサル中に相手を死亡させてしまい、「業務上過失致死」の疑いで事情聴取を受けたそうです。

驚くことに、長男が使用しのは本物の日本刀。迫力あるシーンを撮るため、スタッフが用意したとされています。

最終的には、事故と判断された同事件。勝新太郎さんにとって映画『座頭市』は、最後のプロデュース作となったようです。

勝新太郎伝説④ハワイ大麻所持で逮捕

勝新太郎さんは1990年、麻薬所持で逮捕されます。

ハワイ・ホノルル空港で”下着”にマリファナとコカインを入れていたとして、現行犯逮捕された勝さん。

麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたらパンツに入っていた」と釈明していたそうです。

さらに逮捕後の記者会見では

今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする

と記者の質問を煙に巻きました。

この事件で勝さんには『懲役2年6ヶ月執行猶予4年』の有罪判決が確定。

5億円もの費用をかけて制作したキリンビール「ラ党の人々」のCMは、たった1日で放送打ち切りとなり、CMの制作会社から損害賠償請求の民事訴訟を起こされたようです。

麻薬所持事件をきっかけに、俳優活動の場を舞台に移した勝さんは1996年5月、舞台『新夫婦善哉・東男京女』にて妻の中村玉緒さんと共演。

夫婦の共演作は大きな話題となりました。

勝新太郎伝説⑤下咽頭癌たばこ会見

勝新太郎さんは1996年7月に下咽頭癌を発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を選択したといいます。

しかし、破天荒な勝さんは入院中も外出を繰り返し、お酒やタバコも吸っていたとか。

病気を発表する記者会の席でも、平然とタバコをふかしていたそうです。

ただ、この喫煙は勝さんのパフォーマンスだったとか。煙を肺まで吸い込まず、口元でふかいていただけとされています。

そんな勝さんの入院中の楽しみは、妻・中村玉緒さんが出演するバラエティ番組をみること。

天然キャラでブレイクした中村さんの活躍を、夫の勝さんも応援してたようです。

必死に治療に励んだ勝新太郎さんでしたが、1997年『咽頭がん』のため65歳で死去。

勝新太郎さんが残した「借金14億円」は、妻の中村玉緒さんが完済したようです。

また債権者の中には、勝さんが残した借金を香典代わりとして、債権放棄した人もいたとのこと。

破天荒で豪快な人生を送った勝新太郎さん。妻の中村玉緒さんはどれだけ苦労されたことでしょう。

しかし妻の中村玉緒さんは、愛情深い勝さんを知っているからこそ嫌いになれなかったといい、生まれ変わってもまた勝新太郎さんと結婚したいと語っています。

中村玉緒と旦那(夫)勝新太郎の子供は2人!

中村玉緒さんと旦那・勝新太郎さんの間にはお子さんが2人います。

  • 1962年長女:奥村真粧美
  • 1964年長男:奥村雄大

一男一女2人の子供に恵まれた中村玉緒夫婦。ちなみに奥村という苗字は、勝新太郎さんの本名です。

中村玉緒さんは子供の教育にはとても厳しく、息子さんが靴紐を結ばないことで往復ビンタをしたこともあったとか。

その一方では、子供たちを溺愛していたそうです。

そんな2人のお子さんも、芸能界で活動していました。

中村玉緒と勝新太郎の長男は鴈龍

長男(息子)の奥村雄大さんは、鴈龍太郎名義で俳優として芸能界デビュー。後に芸名を鴈龍へ変えました。

父親の作品でデビューした鴈龍さんでしたが、模造刀が真剣に入れ替わっていたことを知らず、殺陣シーンで相手を死亡させる事態に…。

幸いスタッフのミスによる事故と判明しましたが、鴈龍さんは5年という長い謹慎処分を受けたそうです。

復帰後は、舞台を中心に活動していた長男の鴈龍さん。

しかし2019年12月に、名古屋市内の自宅で孤独死しているところを知人によって発見されます。

鴈龍さんの死因は『急性心不全』で、享年55歳でした。

近親者だけで行なった葬儀と納骨。息子に先立たれた母親の中村さんはとても憔悴していたそうです。

中村玉緒と勝新太郎の長女は事務所の社長

中村玉緒さんと勝新太郎さんの長女(娘)は、奥村真粧美さんというお名前です。

長女の奥村真粧美さんは、2024年現在62歳。実は娘さんも、かつて女優として芸能界デビューしています。

両親である中村玉緒さん勝新太郎さんと一緒に、ドラマ『警視-K』で共演していた時期もあったそうです。

一般男性との結婚をきっかけに芸能界を引退したものの、わずか1年で離婚。

離婚して実家に戻った娘の奥村真粧美さんは、勝新太郎さんの死後、母親である玉緒さんの個人事務所の社長に就任しました。

周囲から「一卵性母娘」とも言われるほど仲の良い親子は、同じマンションで暮らしていました。

ところが2024年現在、母娘は絶縁状態にあると報じられているようです。

中村玉緒さんと勝新太郎さんの子供2人については、こちらの記事で詳しく紹介しています。

中村玉緒と旦那(夫)勝新太郎【まとめ】

中村玉緒さんと旦那(夫)勝新太郎さんの波乱万丈な人生を紹介しました。

23歳の若さで結婚した中村玉緒さんは、当時としては珍しい『デキ婚』でした。

勝新太郎さんの破天荒な人生を支え、莫大な借金まで返済した中村玉緒さん。残念ながら愛する夫は亡くなってしまいます。

勝新太郎さんに振り回される人生でしたが、妻の中村玉緒さんは「生まれ変わってもまた勝新太郎さんと結婚したい」そうです。

それだけ勝新太郎さんが魅力的な男性なのかもしれませんね。

http://migration.hatoltd.com/archives/36543

 


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