今回は、ビートたけしさんの壮絶なバイク事故の過去について取り上げます。
ビートたけしさんはバイクで事故を起こし、生死の境をさまよった過去を持っています。
それはとても悲惨な事故で、退院後はあまりの顔の変化に報道陣も思わず息を呑みました。
当時のビートたけしさんの事故についてまとめました。
目次
ビートたけし壮絶なバイク事故の過去
【事故前後の比較画像】たけしの事故前の顔と事故直後の顔!
とても悲惨なバイク事故だったと語られるゆえんは、北野武さんの顔の変化にあります!
事故前のたけしさんの顔画像はこちらです。事故前はオールバックが似合うイケメンでした。

ところが、事故後、たけしさんの顔はすっかり歪んでいました。事故後の退院会見時の顔画像はこちらです。

- 顔面の左半分が神経麻痺
- 口の開閉もままならない
- 目の焦点も合わせられない
意識不明の重体から生還したたけしさんが会見で姿を現したとき、あまりの顔の変化に報道陣は思わず息を呑みました。
会見動画の画質が荒いですが、当時のたけしさんの顔は歪んでいて目の焦点が定まっていませんでした。
記者からは容態を心配する質問が飛び交いましたが、たけしさんは
「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」
「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面マヒナスターズにします」
と自ら怪我をネタにしていました。さ、、さすがです。
【事故発生はいつどこで?】愛人・細川ふみえに会いに行く道中で
バイク事故は、一体いつどこで、どうして起こったのでしょうか?
まず、事故が起こったのは、1994年8月2日の午前1時40分です。
たけしさんは真夜中に、原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自ら転倒するという自損事故を起こしてしまいました。
- スクーターで運転中に、カーブを曲がりきれずガードレールの鉄柱に激突。
- 4メートルも吹っ飛ばされて頭を強打し大出血。
対向車との接触などではなく、運転ミスによりスッ転がったものだったそうです。
意識不明のまま現場に倒れているところを発見されました。
深夜に、たけし軍団メンバーと別れ、購入したばかりの原付バイクに酒気帯び状態で跨り、愛人宅へ向かう途中の事故だったとのこと。
なお、当時たけしさんの愛人と噂されていたのは、細川ふみえさんです。

おふたりの関係について聞かれた時、細川さんご自身は次のように話していたようです。
私のことは友達だって言ってくださったことはあります。
しかし、たけし軍団のメンバーが腫れ物にさわるかのように話しかけてこなくなったそうで、屈託のないダチョウ倶楽部の存在が安らぎだったとの話です。
ビートたけしさんを敵に回すような、迂闊なことは出来ない、というタブー感が漂っていたのでしょう。

たけしさんの事故直後の歪んでしまった顔を、細川ふみえさんはどんな気持ちで見ていたのでしょう。
【発見直後のたけし】意識不明の重体で植物人間を覚悟!
事故直後のたけしさんを事故現場で発見したのは諸星和己さんです。

事故当日に、後輩のTOKIOとその現場周辺でロケをしていたそうで、事故の時間帯にたまたま現場をとおりがかり、血だらけで倒れているたけしさんを発見しました。
たけしさんは、東京医科大学病院に救急搬送されて一命を取り留めますが、怪我は深刻でした。
- 右側頭部の頭蓋骨がバックリと陥没骨折
- 右の頬骨がバリバリに複雑骨折
- 脳挫傷(脳への打撲)
や、、やばい、、。
事故の一報をうけて、たけしさんの弟子の負古太郎(まけふるたろう)さんが警察にかけつけたとき、古太郎さんは絶望的な言葉を耳にします。
四谷警察署の取調室では警察官からは「脳味噌、陥没だ。よくても植物人間だぞ」と告げられました。
【入院中のたけし】森社長の非情な決断・徹底した情報統制

事故の一報を聞いた所属事務所「オフィス北野」の社長・森昌行さんは、たけしさんの容体を知り愕然とします。
しかし冷静に状況を把握した後、非情な決断を下します。
たけしの家族と身のまわりの世話をするごく少数の弟子を除き、すべての人間を面会謝絶にする
この対応に、当時たけし軍団のほかのメンバーらは、反発しました。
しかし、事故直後のたけしさんの容体は絶望的でした。顔面が倍ぐらいに腫れ上がり、集中治療室からは絶え間なくうめき声が漏れていました。
そのようなたけしさんの状態が何らかの形で外部に漏れれば、それを知ったテレビのスタッフが「復帰は不可能」という判断を勝手に下してしまい、情報が独り歩きしてしまう。
『徹底した情報統制』をおこなう。
これこそが、社長の森さんが『たけしさんの復活』を願って下した決断でした。
森さんは連日のように自ら記者会見を開いてたけしさんの病状を伝えました。そのときの動画がこちらです。
森さんは当時、自分から情報を提供することで、それをテレビや雑誌がどういう形で紹介するのかを確認し、その反応を見て、次にどういう情報を出すのかを判断していたそうです。
「ビートたけし」というブランドの価値を守るために森さんは全力を尽くしたのですね。
【退院後のたけし】当時の事故を振り返ってコメント

この事故は、「普通なら即死、よくて植物状態」と言われていた悲惨な事故でした。
たけしさんは、病院でようやく意識を取り戻した時には、事故前後数時間の記憶は失われていました。
たけしさんは当時のことを質問されたときに次のように話しています。
あの時の、バイク事故――
「自殺願望があったのですか?」と蓮實重彦さん。
「記憶がない。現場の血を見てぞっとした。『自殺したんだな』と思った。下手したらもう1回するような気がする。一番のファンは一番足を引っ張ろうとする。その人が落ちていく様を見たがっているものだと事故の時に痛感した」
(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)
たけしさん自身が「当時はうつ状態だった」と語ることもあったそうです。
ビートたけしの闇が深い!俺は臆病者だ

不倫を繰り返し、悲惨な事故を経験するなど、たけしさんの人生は波乱万丈。
たけしさんは、芸能界での自身の活動について次のような心中を語ったことがあります。
「いつも不安で不安で仕方がない。おれほど憶病者はいない。開き直らないとむちゃできない」
(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)
と言い、お笑いの仕事については
「どこか売春婦的な心でやっている」
(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)
今回は、ビートたけしさんの壮絶なバイク事故の過去について取り上げました。
最後までお読み頂きありがとうございました。