ビートたけし

写真|ビートたけし事故直後の顔面麻痺ストーリー!諸星の血だまり発見現場はどこ?

【比較】ビートたけし事故前後の顔画像


ビートたけしさんはバイクで事故を起こし、生死の境をさまよった過去を持っています。

  • 顔は陥没し顔面麻痺
  • 事故現場は血の川
  • 病室からはうめき声

当時の週刊誌に掲載された血溜まり発見現場には多くの報道陣が集まりました。

発見者は諸星和己さん。

事故直前には細川ふみえさんとの不倫報道もあり、自殺願望説や鬱説まで飛び交っていたのですが…

今回は、そんな1994年の事故当時を振り返っていきます。





ビートたけし事故直後の写真

顔が削れる顔面麻痺に

1994年、ビートたけしさんは恐ろしいバイク事故を起こしました。

事故前のたけしさんはすらっと面長でオールバックが似合うイケメン

事故当時の年齢は47歳でした。

ところが、事故後は、陥没骨折で顔が削れたような姿に…

  1. 顔面の左半分が神経麻痺
  2. 口の開閉もままならない
  3. 目の焦点も合わせられない

たけしさんの退院会見時の姿は動画でも残っています。

顔は歪んでいて目の焦点が定まっていないまま話す様子が分かります。

あまりに痛々しくて生々しい会見です…

記者からは容態を心配する質問が飛び交いましたが

たけしさんは悲惨なバイク事故を自虐ネタで回答

「治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします」

「(事故は)軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってるんだ」

「頭に入っているボルトのせいで金属探知機に引っかかる」

ここまでくると、さすがの芸人魂ですね!

ビートたけしの事故現場

写真|事故現場は「血の川」

たけしさんのバイク事故の翌日のスポーツ紙には事故現場が掲載されました。

その紙面には「事故現場は血の川」というショッキングな写真が…

事故が起こったのは1994年8月2日の午前1時40分。

この事故は、原付バイクで走行中に自ら転倒するという自損事故でした。

現場は、東京都新宿区の安鎮坂付近。

報道によると、たけしさんはバイク運転中に

  • カーブを曲がりきれずガードレールの鉄柱に激突
  • その後 4メートルも吹っ飛ばされて頭を強打し大出血
  • 意識不明のまま現場に倒れているところを発見された

とのこと。

事故前夜、日本酒4合相当のアルコールを飲んでいた

と言われ、酒気帯び運転で書類送検(起訴猶予処分)されています。

愛人の家に向かう途中の事故?

また別の報道では、当時たけしさんは

愛人の家に向かう途中だったのでは?

といったことも報じられています。

当時のスポニチの右下にはこんな煽り文も。

先週は細川ふみえと激写報道
2週続き 魔の火曜日

当時たけしさんの愛人と噂されていたのは、細川ふみえさん

おふたりは、日テレ人気バラエティ番組「スーパーJOCKEY」で共演

ビートたけしさんが総合司会、細川ふみえさんがアシスタントを務めました。

細川ふみえ

ふたりは最後まで、愛人関係を否定。

細川ふみえさんのコメントといえば

私のことは友達だって言ってくださったことはあります。

という当たり障りのないもので、不倫疑惑はうやむやに…。

しかし、不倫疑惑から約10年後のこと、たけしさんがうっかり不倫の真相に迫るポロリ発言をしてしまったのです。

たけし✕爆笑問題 のコラボ番組でのこと。

太田光さんが「その…フーミンさんでしたっけ?あ、フービンさん」と話し始めると

「フーミンはオッパイ大きい(ほう)だろう!」

と、たけしさんは胸を強調するポーズを取ってツッコミ。

一部で大ウケしていたものの、一瞬そのスタジオは凍りついたそうです。

発見者は諸星和己

事故直後のたけしさんを事故現場で発見したのは諸星和己さんでした。

諸星和己諸星和己

諸星さんは事故当日、後輩のTOKIOとその現場周辺でロケをしていたそう。

事故の時間帯にたまたま現場をとおりがかり、血だらけで倒れているたけしさんを発見しました。

深夜の遅い時間に、たまたま通りがかるという奇跡!

たけしさんは、東京医科大学病院に救急搬送されて一命を取り留めます。

しかし、怪我は深刻で

  1. 頭蓋骨がバックリと陥没骨折
  2. 右の頬骨がバリバリ複雑骨折
  3. 脳挫傷(脳への打撲)

たけしさんの弟子の負古太郎(まけふるたろう)さんが警察にかけつけたとき、四谷警察署の取調室では警察官からは

「脳味噌、陥没だ。よくても植物人間だぞ」

と告げられたとの話。恐ろしいですね

ビートたけし事故後の入院・治療

普通なら即死・よくて植物状態

たけしの容体について語るオフィス北野社長・森昌行さんたけしの容体について語る社長・森昌行さん

 

この事故は「普通なら即死、よくて植物状態」と言われていた悲惨な事故でした。

顔面が倍ぐらいに腫れ上がり、集中治療室からは絶え間なくうめき声が漏れていたとも。

事故の一報を聞いた所属事務所「オフィス北野」の社長・森昌行さんは、たけしさんの容体を知り愕然とします。

しかし冷静に状況を把握した後

たけしの家族と身のまわりの世話をするごく少数の弟子を除き、すべての人間を面会謝絶にする

という『徹底した情報統制』に踏み切りました。

この対応に、当時たけし軍団のほかのメンバーらは反発。

それでも週刊誌に「たけしの復帰は絶望的」だの「復帰は不可能」など書かれることだけは避けたいと願っていたようで

他のルートから情報が漏れるのを防ぎながら、森さんは自ら記者会見を開いて連日たけしさんの病状を伝えました。

森さんは当時、自分から情報を提供することで、それをテレビや雑誌がどういう形で紹介するのかを確認し、その反応を見て、次にどういう情報を出すのかを判断していたそうです。

社長の森さんが『たけしさんの復活』を願って全力を尽くしたのですね。

「自殺願望」や「鬱」説も浮上

たけしさんは、病院でようやく意識を取り戻した時には、事故前後数時間の記憶は失われていたと言われています。

たけしさんは当時のことを質問されたときに次のように話しています。

あの時の、バイク事故―― 
「自殺願望があったのですか?」と蓮實重彦さん。

「記憶がない。現場の血を見てぞっとした。『自殺したんだな』と思った。下手したらもう1回するような気がする。一番のファンは一番足を引っ張ろうとする。その人が落ちていく様を見たがっているものだと事故の時に痛感した」

(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)

たけしさん自身が「当時はうつ状態だった」と語ることもあったそうです。

俺は臆病者だ

出典:日刊スポーツ出典:日刊スポーツ

不倫を繰り返し、悲惨な事故を経験するなど、たけしさんの人生は波乱万丈。

たけしさんは、芸能界での自身の活動について次のような心中を語ったことがあります。

「いつも不安で不安で仕方がない。おれほど憶病者はいない。開き直らないとむちゃできない」

(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)

と言い、お笑いの仕事については

「どこか売春婦的な心でやっている」

(引用:出典仏ドキュメンタリー映画「北野武 神出鬼没」より)

こうしてみると、ビートたけしさんの闇は深そうです…

今回は、ビートたけしさんの壮絶なバイク事故の過去について取り上げました。

最後までお読み頂きありがとうございました。