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イチローが父親と絶縁状態だった5つの理由とは?引退後現在は不仲関係修復の兆しも。

2019年3月21日に引退会見を開いたイチローさん。

メジャーリーグという世界最高峰の舞台で活躍し、ストイックに野球に取り組んだ姿が印象的ですよね。

そんなイチローさんを育て上げたのは、父親の鈴木宣之さんです。

イチローさんの引退会見後には、父親の宣之さんも取材に応じてイチローさんを労っていたのですが…。

イチローさんと父親の宣之さんは長く絶縁状態だったという噂。

そこでここでは、イチローさん親子にまつわる

  • 絶縁状態だった5つの理由とは?
  • 引退後の現在は不仲関係を修復した?

について詳しく紹介します。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね~♪

イチローと父親の関係|幼少期はべったり?

イチローさんの父親は鈴木宣之さんです。

こちらが父親・鈴木宣之さんの画像。

イチローさんに目元や鼻が似ていますよね。

絶縁状態が騒がれている親子ですが、実は幼少期の関係は”べったり”だったとか。

そんな親子の『べったり』エピソードを詳しく紹介します。

イチローを誰よりも応援した父

イチローさんの幼少期、父親の宣之さんは誰よりもイチローさんを応援して尽くしてくれた人でした。

熱心に野球を教え、親子で野球を頑張ってきたことで知られています。

こちらは、幼少期のイチローさんと父・宜之さんの画像です。

イチローさんは小学3年生の頃に、地元のスポーツ少年団に入団。

そのチームは練習が日曜日にしかなかったため「平日はお父さんと野球する」と言い張って、宣之さんが毎日練習に付き合っていたのだとか。

イチローさんと宣之さんは、毎日暗くなるまでキャッチボールをしていたそうです。

宣之さんの仕事は町工場を経営しており、割と時間に融通がきいたようで、毎日イチロー選手の練習に付き合うことが出来たといいます。

宣之さん自身も、高校時代には野球部で外野手を経験。

甲子園には行けませんでしたが、愛知県大会ベスト4の最高記録を持っていて野球が大好きなんですね。

そんな宣之さんですから、我が子であるイチローが野球選手として活躍することは本当に嬉しかったことでしょう。

イチローに対して過干渉な父

父親の宣之さんには、さまざまな面白エピソードがあります。

幼少期から高校時代まで息子に付きっきりで、毎日イチローさんの練習に来ていたという父親。

  • 午後3時半にはグランドに来る。
  • 午後4時の練習開始とともにバックネット裏ベンチでイチロー監視。
  • イチローがブルペンに行くと父もブルペンに移動。
  • 部員が夕食をとっている時は車で待機。
  • 夕食後に自主練が始まると再びイチロー監視。
  • 午後10時まで監視を続ける。
  • 監督の指導に一切文句は言わない。イチローを見ているだけ。(ただ、たまに我慢できずにジェスチャーで何かを伝えようとする)
  • 雨の日でも、練習休みのミーティングのみの日も来る。
  • 真冬でも毎日来る。(監督が気を効かせて火に当たらないかと声をかけると『息子が寒い思いをしているのに自分だけ温まることはできない』と固辞)

宣之さんがあまりに毎日来るので、たまに宣之さんが来ない日があると、病気か事故でもあったんじゃないかと、チームの先輩や部員たちから心配されるほどだったそう。

幼少期は良いとしても、さすがに年齢が上がるにつれてイチローさんも嫌だったんじゃないですかね。

ちょっと過干渉な気がします。

実際、イチローさんは相当嫌がっていて、愛工大名電の野球部監督も宣之さんの存在を鬱陶しく思っていたようです。

イチローが父親と絶縁状態だった理由は5つ

絶縁状態とささやかれているイチローさんと父親・宜之さん。親子関係に亀裂が入った理由は5つと言われています。

具体的なエピソードを見ていきましょう!

①イチローと8歳上弓子の結婚を歓迎していなかった

イチローイチローと8歳年上の弓子さんと結婚

イチローさんは1999年、8歳年上の弓子さんと結婚しました。

下の結婚会見のコメントからも、お二人の相性の良さが伺えます。

イチロー:相性がいいというのが一番。話すリズムとか価値観とか同じ空間にいるのが心地いい。あと、親を大事にしてくれると思いました

弓子:自然な2人の空間が心地いいですね。信頼感がある人だなと思いました

結婚当時、イチローさんは26歳で弓子さんは34歳という年の差婚婚。

実は、父親の宣之さんはこの結婚をあまり歓迎していなかったようです。

弓子さんは8歳年上で、婚約していた栗山英樹・日本ハム監督との破局も報じられていた。結婚相手を“イチローの妻”ではなく“鈴木家の嫁”として捉えていた宣之さんからすれば、手放しで喜ぶ気持ちにはなれなかったのです(引用:デイリー新潮より)

実際に宣之さんはテレビ番組で、

イチローの結婚相手は2、3歳上なら理想的だった。10歳離れるとアウトだったけど、8歳はギリギリセーフかな

と語っていたそうです。弓子さんにとっては辛い言葉ですね。

これでは、宣之さんと弓子さんとの間に亀裂が生じても仕方がないと思います。

②イチローと住むための豪邸建設・過干渉が迷惑だった

宣之さんはお二人の結婚の翌年2000年、地元の愛知・豊山町に2階建ての大豪邸を建設しました。

溺愛するイチローさんと仲良く暮らすという願望があったようで、当時の宣之さんはイチローさんが中日に移籍し、新築した豪邸で一緒に住むという夢を思い描いていたそうです。

さらに宣之さんは非常に細かいことに口を出す性格だったようで、結婚当初はネギを1本買うにも領収書を貰うように言っていたという噂も。

もしこれが本当であれば、嫁の立場としては鬱陶しくてたまらないですね。

弓子さんは相当苦労したんじゃないでしょうか。

実際、弓子さんは数ヶ月で愛知の豪邸を出て、神戸で単身赴任していたイチロー選手の元に向かったそうです。

③イチローのメジャー移籍に反対した

イチローイチローのメジャー移籍を反対した?

イチローさんは2000年10月、メジャー挑戦を表明しました。

しかし、当時の宣之さんは猛反対したという話があります。

イチローさんが中日に移籍した暁には、同じ豪邸で一緒に暮らそうと思っていた宣之さんからすれば、イチローさんがメジャーに行くなど到底許せなかったという噂。

そんなときに、悩んだイチローさんを支えたのは妻の弓子さんだったと週刊誌は報じています。

その背中を押したのは他ならぬ弓子夫人。メジャー移籍に反対していた宣之さんは、イチローが会見する当日の朝まで何も知らされていなかったのです(引用:デイリー新潮)

当時のイチローさんにとっての一番の理解者は、父親の宣之さんではなく、嫁の弓子さんだったのでしょう。

2002年11月、イチローさんの地元・愛知県名古屋市の豊山町で『イチロー杯争奪学童軟式野球大会』が開催。

イチローさんは挨拶で、野球少年に向かって次のように語っていたといいます。

大リーグ挑戦を父に反対されて辛かったけれど、意思を貫いてよかった。自分で決断ができる大人になってほしい

この挨拶は「親への感謝」で始まる一般的な挨拶とは異なり、完全に親の顔に泥を塗る形。

明らかに父と息子の関係に不仲な空気を感じさせるものです。

ただ、父親の宜之さんは「メジャーに反対したというのは、事実無根」と後に取材陣の前で否定しており、真実は定かではありません。

④イチローの所得の申告漏れが発覚した

所得申告漏れイチローの所得申告漏れが発覚

イチローさんの稼いだお金は、父親の宣之さんが管理。

しかし、2003年に名古屋国税局から『約9000万円の申告漏れ』を指摘されてしまいます。

どやら父親の宜之さんは、イチローさんのオリックス時代のCM出演料などをイチローの個人所得とせず、宣之さんが代表を務める『オフィス・イチロー』の所得に計上していたというのです。

イチローさんはこのとき相当怒ったそうで他人任せにしたのがいけなかった」と語っていたといいます。

この申告漏れをきっかけに、その後イチローさんの稼いだお金は『IYI』という資産管理会社を設立して、妻の弓子さんが管理するように。

このようなエピソードを聞く限り、イチローさんと宣之さんの関係に亀裂が入っていた様子が感じられますね。

⑤イチローを勝手に広告塔にして商品開発をした

宣之さんはイチローの父親ということで、チチローの愛称で呼ばれています。

2000年には、地元の愛知・豊山町の実家隣に「イチロー記念館」もオープンしました。

宣之さんはイチローさんが子供の頃に食べていたというカレーをレトルトカレーにして発売。

その名も『鈴木家のチチローカレー』という商品名を付けたのです。

チチローカレー鈴木家のチチローカレー

このような振る舞いもイチローさんを苛立たせたようです。

イチローは、宣之さんが講演などで事あるごとに自分の名を使うことに嫌気がさしていた。豪邸に隣接する記念館についても快く思っていません。そもそも『チチロー』というのも、露出の多さゆえメディアがつけた呼称。これまでも『黙っていてほしい』と苦言を呈してきました(引用:デイリー新潮)

イチローさんは自分が広告塔に使われるのを相当嫌がっていたようですね。

宣之さんの数々の振る舞いに嫌気がさしていたとの報道。

ただ宣之さん側は、それが理解できていないようで「少しは顔を出して事務員に労いの一言があっても良いんじゃないか」などと話していたといいます。

宣之さんは、地元でイチローのグッズを展示する『アイ・ファイン』を運営してきましたが、あるときからイチロー夫妻は実家に寄り付かなくなった。特に弓子さんが実家に顔を出すことは一切なくなったといいます。宣之さんは『少しは顔を出して事務員に労(ねぎら)いの一言があっても良いんじゃないかな』と言っていましたね(引用:週刊文春)

父親としては息子の栄光を自慢したい気持ちがあったのでしょうが、真面目なイチローさんにとってみれば、勝手に自分の名前を語られるのは許せなかったのでしょう。

父親に近付こうとしないイチロー?

父親の宣之さんの数々の振る舞いに嫌気がさしていたイチローさん。

メジャー挑戦で渡米してからは、絶縁状態が色濃くなっていきます。

妻である弓子さんの実家がある島根県松江市には、年に1回は夫婦で足を運び泊まることもあったそう。

しかし一方で、宣之さんの住む豊山町には帰ったとしても短時間立ち寄りさっさと帰るという様子でした。

またイチローさんは、宣之さんとは徹底的に顔を合わさないようにしていたようです。

地元の馴染みの寿司店も親子で来店することは無く、いつも別々。

イチローは『墓参りに来た』と、この2月に1人で店に来てくれました。いい目をしていたから今季は活躍するだろうなと思っていたのです。お父さんも来店しますが、いつも別々。でも、こうして節目の記録も達成したわけだし、引退したらまたお父さんと話せる日も来るでしょうね(引用:デイリー新潮)

さすがに父親の宣之さんが可愛そうな気もしてきますが、イチローさん夫婦と父親の宣之さんとの亀裂は、それほどまでに深いものだったのでしょう。

2024年現在は関係修復の兆しも

絶縁状態が囁かれていたイチローさん夫婦と父親の宣之さん。

ただイチローさんの引退後、家族の関係も徐々に変わってきたようです。

宣之さんの態度が変わったきっかけは、イチローさんの引退の場面での弓子さんとのやり取り。

引退を告げたとき、弓子さんは私に手を差し出してきたんですよ。『今までありがとうございました』という感謝の気持ちだったのでしょう。私の手を握り、彼女はにっこりと微笑んで去っていきました。今までそんなことは一度もなかった。私は何も言えず、無言で手を握りましたが、長年のわだかまりが解けていくような感覚でした(引用:週刊文春)

そして弓子さんに対して次のように語りました。

私はイチローに『結婚は二十五歳まではするな』と言ってきましたが、(スポーツ選手の)世話をしてくれるのは、やっぱり年上女房なんですよ。(引用:週刊文春より)

弓子さんのことを好意的に思っていなかった宣之さんですが、イチローさんを真摯に支えた弓子さんを認めるように。

また、イチローさんの引退後には、弓子さんから宣之さんに次のようなメールが届いたそうです。

彼と日本でゴルフをやってもらえませんか。彼がお義父さんとやりたがっています

息子から直接連絡しづらかったのかもしれませんが、イチローさんも宣之さんへ歩み寄る様子がみられますね。

宣之さんも嬉しかったことでしょう。

引退の時には息子イチローさんを労い、涙を浮かべていたという宣之さん。

親子でゴルフを楽しむ日も近いかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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