今回は高橋一生さんの壮絶な生い立ちについて取り上げます。
5人兄弟の長男として、弟たちの子育てもしていたという高橋一生さん。
調べてみると、高橋一生さんの母親は随分と奔放だったようで、たいへんな毒親だったとか。
また、高橋一生さんの父親についても、死んだとされていますが、一部ではまだ生きているのではとも噂されています。
高橋一生さんの壮絶な生い立ちとともに、高橋一生さんの父親、母親についても迫ってみたいと思います。
目次
高橋一生のプロフィール
10歳の頃から芸能活動を始めており、1990年の「ほしをつぐもの」という映画で初出演を果たします。
名前:高橋一生(たかはし・いっせい)
生年月日:1980年12月9日
身長:175cm
出身地:東京・赤坂
職業:俳優
高橋一生さんは5人兄弟の長男です。各ご兄弟との関係は次のとおりです。
1人目の父親:高橋一生(長男)
2人目の父親:次男・三男
3人目の父親:四男・五男
高橋一生さんの母親は、結婚・離婚を繰り返す女性だったのでしょう。
複雑な家庭環境だったことが伺えます。
2人目、3人目の父親は既に他界しており、母親も2015年に亡くなったとのこと。
奔放な母親の元に生まれた高橋一生さんは、どんな生い立ちだったのでしょうか。

高橋一生の生い立ちが壮絶で泣ける!
奔放な母親の元に生まれる
母親は18歳という若さで、長男の高橋一生さんを生んでいます。
ものすごくお金遣いが荒かったうえに、チャレンジ精神が旺盛すぎて何度も事業を立ち上げては潰すということを繰り返していたそうです。
高橋一生さんが東京・赤坂の出身ということから察するに
母親はもともとお嬢様育ちだったので生活レベルが下げられなかったのではないかとも言われています。
幼少期は塞ぎがちだった
高橋一生さんは幼少期はふさぎがちだったそう。
そんな高橋一生さんを見た祖母はいろんな習い事をさせてくれました。
ただ、どれも長くは続かなかったそうです。
しかし、あるとき児童劇団に入れてもらった高橋一生さんは定期的にある発表会を見に来ていた祖母が喜んでいるのを見て感動。
その流れで幼少期から芸能活動を始めることになりました。
1990年の映画『ほしをつぐもの』で映画初出演。
1995年、スタジオジブリ製作のアニメーション映画『耳をすませば』で、主要キャラクター・天沢聖司の声を演じました。
実は最近になって天沢聖司の声は「実は高橋一生だった!」と認知されるようになっています。
貴重な声変わり前の高橋一生さんの声が聞けると話題になりました。
(詳しい記事はこちら↓)

母親から「あんたなんか」と否定される
高橋一生さんは鶴瓶さんとトークした時に次のように語っています。
鶴瓶:小さいときに”あんた、たいした顔してないんだから近所のにいちゃん役したらいいのよ”ってよく言われてたんやろ
高橋:よく言われてました。言われてました。”となりのあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか”みたいな
子供を否定する親、、まさに毒親です。言葉の暴力もあったようですね。
母親の命令でお金を借りに行く
母親は生活レベルが下げられず都会を離れようとしなかったそうです。
高橋一生さんをはじめ兄弟たちは、母親から命令されてお金を借りに行かされていたとか。
地域柄、周囲には裕福な家庭の子供も多かったのでしょう。
裕福な家庭の友達ができると
家賃が払えないからあの子の親から100万円借りてこい
などと言われて、お金を無心させられていたそうです。
そうすると今度は矛先が高橋一生さんに向けられるようになり…
母親に言われて弟たちが高橋一生さんにお金を借りに来るようになったとか。

勝手に私物を売られ絶縁状態に
母親はお金が足りなくなると、勝手に子供たちの私物を売ってお金にすることもあったそうです。
母親は、あるとき高橋一生さんの車を勝手に売ってしまったそう。
これまで色々とあったことも積み重なっていたのでしょう。
このときは高橋一生さんも我慢がならず
縁を切る
と言って家を出ていったそうです。
それから疎遠のまま絶縁状態になります。
10年ほどたった頃、弟からの連絡を受けて、母親が病に伏せているとの連絡を受けます。
しかしそんな状況ですら
顔を合わせると喧嘩になるから、もう少し弱ってから会いに行く
と言い、すぐには足を運びませんでした。
母親との和解と死別
2015年の夏、いよいよ容態が危ないという時期になって、高橋一生さんは母親と会う決心をしたようです。
病院にいる母親に会いにいきました。
久しぶりに会った母親はやせ細っていて、随分やつれていたようです。
母親は
ごめんね、今まで
と謝りました。
その言葉を聞いた高橋一生さんは
もう大丈夫。弟はなんとかするからゆっくり休んで
と声をかけ、その一週間後に母親は亡くなったそうです。
色んな許せない過去がありながらも、このとき、高橋さんは母親を受け入れたのかもしれません。
最期はきちんと看取ることができたそうで、絶縁状態にあった母親と和解でき、恨みを残したりすることは無かったようです。
弟たちの親代わりに
高橋一生さんは末の弟とは18歳も歳が離れているそう。
昔は弟のおむつを変えたりミルクを人肌に温めたり、まるで若い父親のように弟の世話をしていたそうです。
他にも、家計簿をつけることを教えたり、大人になると寿司職人になりたい弟のために知人を紹介したり、「親代わり」として弟たちを支えています。
若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい(引用元:スポニチ)
とも語っており、父親のような厳しくも温かい視線を弟たちに向けているようです。
弟たちは、以前は「一番上の兄貴に連絡していると母にお金の無心に行かされる」との理由から、高橋一生さんと連絡をとるのを遠慮していたようです。
しかし、今では兄弟全員で気兼ねなく連絡を取り合っているとか。弟たちとの関係はとても良いようですね。
父親は有名人だった説・今はどこにいる?
父親は有名人だった説
高橋一生さんが俳優で赤坂出身だという理由から、2世タレントではないかという噂が流れています。
一部では、父親の職業が、同じ俳優なのではないか、あるいは脚本家や放送作家なのではないかという話もあります。
ただ、高橋一生さんの芸能界入のきっかけは祖母の影響で、父親の影響というわけではないようです。
父親は今はどこにいる?
高橋一生さんの実の父親は、高橋一生さんが5歳のときに亡くなっているというお話がある一方で、実はまだ生きているのではないかという噂もあります。
噂の発端はこちらの投稿です。
所在は北海道の北見市で「old coolie’s」というタイ料理屋をやっているという情報です。

この投稿は匿名のもので信憑性は定かではありません。
ただ、お店のfacebookページを見ると、実在のお店のようで、

1月18日【いつ恋】に出るから観てやってくんらせ。
という投稿があり、ささやかながら高橋一生さんを応援している様子が見て取れます。
実親なのかどうか真相は明らかではありませんが、何かご縁のある関係なのかもしれません。
1月18日【いつ恋】に出るから観てやってくらんせ。
2016年のこちらの投稿を最期にfacebookページは更新が途絶えています。
現在、店が営業しているのかどうかも分かりません。
母親はホステスだった説・画像や死因は?
母親はホステスだった説・画像はある?
高橋一生さんは顔立ちも整っていますし、母親は美人な方だったのか気になりますが、残念ながら一般人のため画像はありませんでした。
ただ、高橋一生さんが「A-Studio」で語って判明した情報として
実は高橋一生さんのお母さんも幼少期に子役としてテレビ出演の経験がある
ということが分かっています。
母親が出演した番組名や当時の芸名など、詳しい情報は全く上がってきていません。
どうやら子役として短い期間で芸能活動を終えているのでしょう。
母親は何度も結婚を繰り返していたことから、美人でモテる人だったのかもしれません。
また、シングルマザーで経済的に厳しい状況だったことから
- 水商売をしていたのではないか
- 銀座のホステスをしていたのではないか
という憶測も広がりました。
ただ、銀座のホステスさんなら
こんなに次々子どもを産んだり何度も結婚したりはしないだろう
とも言われているので、あくまで噂話のようです。
実際には、
・自分で事業を手がけて何度も失敗させるというチャレンジャー。
・2度目の結婚をしていたときが経済的には一番安定。
・裕福な時期もあり赤坂の高級マンションに住んでいた
という説が一番有力だと言われています。
母親の死因は?
母親は2015年の夏に亡くなりました。53歳だったそうです。
当時母親は、がんを患っていたと言われています。
死因はがんだったようですね。
まとめ
高橋一生さんの壮絶な生い立ちと、父親、母親について気になる噂をまとめました。
なんとも壮絶な生い立ちで泣けてきますね。
でも、あまりスレた感じもなく好青年に成長した高橋一生さんは素敵ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!


