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【三笘薫】高校時代は自信が無かった?大学進学の理由や小学校・中学校時代も紹介



サッカーの世界最高峰と称されるイングランドプレミアリーグ『ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC』で活躍されている三笘薫選手。

2024年現在の年俸は『7億5千万円』と報じられています。

今回はそんな三笘薫選手の経歴について

  • 三笘薫の高校時代のエピソード
  • 三笘薫の小学校・中学校時代のエピソード
  • 三笘薫の大学進学の理由

以上の内容を中心にお伝えしていきます。

ぜひ最後までご覧ください!





三笘薫の高校は橘高校!高校時代のエピソードも詳しく

三笘薫選手の出身地は神奈川県川崎市。

出身高校は地元の川崎市立橘高等学校です。

橘高校は男女共学の公立高校です。

普通科に加えて、国際科・スポーツ科が設けられており、三笘選手はスポーツ科出身と言われています。

部活動にも力を入れており、特にバレー部は全国大会の常連です。

2020東京オリンピック・バレー日本代表の島村春世選手も同校の出身のようですね。

もちろんサッカー部もあるのですが、三笘選手が在籍していたという情報は見つかりませんでした。

三笘選手は川崎フロンターレU-18に所属していたため、部活には参加せずクラブでの活動に専念していたと思われます。

高校時代『U-18』昇格!

三笘薫選手は小学生のころから川崎フロンターレの下部組織に所属しており、高校ではジュニアユースからユース(U-18)に昇格しています。

2014年の『高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ関東』でのゴールを収めた動画をご紹介します。

東京オリンピックでチームメイトだった三好康児選手も一緒に試合に出場していますね。

2015年には「川崎フロンターレ×アルビレックス新潟」の公開練習試合に参加。

現役のプロ選手相手にみごと1ゴールをあげています。

三笘選手の出場した2セット目は5-0で相手チームを圧倒しており、当時から将来の有力選手として注目を集めていたようです!

三笘薫の小学校・中学校時代も凄い!

三笘薫選手は小学校・中学校ともに地元・川崎市の公立校に進学しています。

小学校・中学校の『学校名』や当時のエピソードを順に見ていきましょう。

川崎市立『鷺沼小学校』時代

三笘選手の出身小学校は川崎市立鷺沼小学校です。

三笘選手がサッカーを始めたのはお兄さんがきっかけだったそうです。

3歳上の兄の影響で、幼稚園の年少の頃からボールを蹴っていました。正式に始めたのは小2の頃。地元の鷺沼FCに入りました。

https://soccermama.jp/30035

ちなみに、鷺沼小学校の1学年下には田中碧選手もいました。

お二人は同じ小学校と中学校に通い、さぎぬまSCと川崎フロンターレのアカデミーでも共にプレーした関係。

それにしても、同じ学校からW杯日本代表を2人も輩出するなんてスゴイですよね。

三笘薫選手は小学3年生時、川崎フロンターレのジュニアチーム(U-10)のセレクションに合格。

1学年上の4年生が中心のセレクションだったのですが、すでに光るものを持っていたようですね。

5、6年時には全日本少年サッカー大会・決勝大会にも出場し、6年時にはキャプテンとしてチームを率いベスト4の成績を収めています。

三笘選手の代名詞とも言える『ドリブル』には、すでにこの頃からこだわりがあったようです。

川崎フロンターレのアカデミーダイレクターを務める後藤静臣さんは、当時の三笘選手について次のようにコメントしています。

ボールを奪われたら、チームメイトともバチバチやっていましたし、味方に『ドリブルばかりじゃなくて、パスを出せよ!』と言われたら、『なんでだよ!』と言い返すような一面もありましたね

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2020/12/23/post_92/index_2.php

あの素晴らしいドリブルの技術は、小学校時代からの強いこだわりによって磨き上げられてきたものだったんですね!

川崎市立『有馬中学校』時代

三笘薫選手の出身中学校は川崎市立有馬中学校です。

中学時代も引き続き川崎フロンターレのジュニアユースチームに所属しており、U-15に昇格。順調にその才能を伸ばしていったようです。

小学時代から鍛え続けたドリブルの実力は広く周知されるようになっていたといい、常に対戦相手チームの厳しいマークにさらされていました。

クラブユース選手権で対戦したガンバ大阪の監督が『止められなかった』と三笘選手を絶賛したという話からも、当時の活躍ぶりが伺えます!

こちらの動画では、中学時代の三笘選手『中学時代』のプレーを見ることができます。

三笘選手ももちろんですが、周りの選手も中学にしてはレベルが高いように感じますね…。笑

さすがサッカー王国・神奈川県といったところですね!

三笘薫は自信が無かった?大学進学の理由

三笘選手は高校卒業後、すぐにプロ入りはせず大学に進学しています。

そんな三笘選手は筑波大学・体育専門学群の出身です。

高校卒業の際、クラブからトップリーグへの昇格の打診がありましたが、それを断って大学進学を選択しています。

サッカー選手のキャリアを考えれば、高卒Jリーガーの道を選択するのは当然と思われていただけに、驚かれた方も多かったようです。

当時はプロとしてやっていく自信がなかった

三笘薫選手は後にインタビューで、大学に進学した当時の心境を次のように語っています。

はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。

もちろん夢や目標としてプロサッカー選手となってA代表に入って、海外で活躍することはあります。ただ、多少回り道でも高卒からプロではなく、当時は大学進学がベターだと思ったんです。

https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=2

三笘選手は高校在学時から筑波大の練習に参加したり、リサーチを重ね熟考した上で大学進学を決断しています。

スポーツ推薦で声がかかった筑波大の蹴球部(サッカー部)のレベルが高かったことも進学の決断を後押ししたようですね。

僕はこの選択に誇りを持っていますし、後悔していません

https://number.bunshun.jp/articles/-/830894?page=2

どちらが正しかったのかは答えが出ることはありませんが、安易に流されず、将来を見据えた勇気のある選択だったと言えるのではないでしょうか!

もちろん筑波大学時代にもサッカーを続けていた三笘選手は、全日本大学選抜などにも選ばれています。

大学時代も注目の選手として、多くのメディアで紹介されていました。

大学卒業後の2020年『川崎フロンターレ』に入団した三笘薫選手は、そこでチームメイトとして田中碧選手と再会したそうです。