1968年に歌番組「夜のヒットスタジオ」の司会に抜擢された芳村真理さん。
個性的なファッションや自然体のトークが注目され、なんと1000回にわたり同番組のMCを務めます。
そんな芳村真理さんには「2回の結婚歴」があるのですが、どうやら認知症の再婚旦那を10年介護したという噂。
ここでは、芳村真理さんの結婚にまつわる
- 再婚旦那・大伴昭が認知症で10年介護
- 再婚夫・大伴昭との別れ
- 元旦那はミッキーカーチスで2年で離婚
について詳しく紹介します。
ぜひ、最後までお付き合いくださいね!
目次
芳村真理の再婚旦那【大伴昭】は超エリート!

2023年現在88歳の芳村真理さん。
かつてMCを担当した歌番組『夜のヒットスタジオ』では、個性的なファッションやヘアスタイルが話題を呼んだといいます。
こちらが夜ヒット当時の芳村真理さんの画像。

確かに、個性的なファッションやヘアスタイルですね。
1968年に同番組の司会に抜擢された芳村真理さんですが、通算1000回にわたり同番組のMCを担当。

その後もワイドショーなどで司会を務めた芳村真理さんですが、絶好調の仕事には再婚旦那の影響が大きかったそうです。
芳村真理さんは1968年に再婚。お相手の大伴昭さんは、カルティエ・ジャパンや日本ポラロイドの社長を歴任した超エリート。

再婚当時、芳村さんは33歳で大伴さんは39歳。お二人は1964年に知人が主催するパーティーで出会いまいした。
約4年間の交際を経て結婚した二人。この時お互い再婚で、ともに息子を連れて4人で暮らし始めたといいます。
ルックスも良く責任感も強い超エリートな大伴昭さんに、芳村真理さんはベタ惚れだったとか。
そんな夫・大伴昭さんの影響で、芳村さんの芸能生活はガラリと変わったようです。
芳村真理は再婚旦那の影響で司会に転身?
MCのイメージが強い芳村真理さんですが、実はデビューはモデルとして。

ファッション雑誌の表紙を飾ったり、グラビアモデルとして活躍されていたそうです。
その後、大島渚監督の映画で本格的に女優デビュー。
モデル業で経歴した『早着替えの特技』を活かし、若手個性派女優として注目を集めるようになりました。

しかし、演じる役は主に悪女役。次第に「女優という仕事は肌に合わない」と感じるようになったといいます。
そんな時、司会業のオファーが舞い込んだのですが、当時のマネージャーから「芳村さんのイメージとは違い過ぎる」と反対されたとか。
ところが、再婚夫の大伴昭さんは「絶対にMCに向いている」と、妻の背中を押したそうです。

芸能界や政界の大物たちと交流を持っていた大伴昭さん。
そんな夫が引き合わせる超大物たちとの交流をきっかけに、芳村さんは妻としての振る舞いや教養を身に着けたといいます。
この時の経験が後に活かされ、司会業に大いに役立ったそう。
夫に勧められ、司会を始めた芳村さんの評判は上々。以降、MCに転身し女優業は廃業することとなりました。

大伴昭さんに絶対的な信頼を置いていた芳村さんは、新しい仕事のオファーが来た際には、毎回夫に相談していたといいます。
昭和一桁生まれで亭主関白な面もあったという大伴昭さんですが、やはり数々の外資系企業で社長を経験された敏腕実業家。
毎回妻の契約書もチェックし、妻の仕事を全面的にサポートしてくれたそうです。
夫婦愛を感じる素敵なエピソードですよね。
当時の時代背景から、女性の司会業は難しいと言われていたようですが、吉村真理さんは夫の支えを受けて、日本を代表するMCの地位を確立しました。
吉村真理の再婚夫【大伴昭】は認知症?

夫のサポートで人気司会者となった吉村真理さんでしたが、1988年に約20年間MCを担当した『夜のヒットスタジオ』を降板。
その後は次々とレギュラー番組を降板し、70歳で現役をリタイアした夫・大伴昭さんとともに、夫婦水入らずの時間を過ごすようになりました。

東京から茅ケ崎へ移住した夫婦は、ゆったりとした時間を過ごしていたそう。
ところが、夫の大伴昭さんに異変が現れてしまいます。
2009年頃、突如夫の大伴さんがおとなしくなり、病院を受診したところ『遺伝性の認知症』という診断。
大伴昭さんが罹った遺伝性の認知症は、家族性アルツハイマーとも呼ばれており、最新の調査では
アルツハイマーの25%が遺伝に由来するもの
と言われているようです。
実は、大伴さんの母親も晩年は認知症だったとか。その母と同じ症状が大伴さんにも現れてしまいました。
次第に認知症が重くなり、妻の芳村さんを『お手伝いさん』と勘違いすることも。芳村さんはかなりのショックを受けたそうです。
しかし夫の大伴さんは、かつて実業家として自信と誇りに満ちあふれていた男性。
芳村さんは夫の認知症を世間に悟られないよう、必死に平静を装ったといいます。
時には、お手伝いさんになりきって夫に対応していたという芳村さんでしたが、夫の認知症は重くなっていきました。
芳村真理は認知症の旦那を10年介護!
遺伝性の認知症が原因で、次第に暴言を吐くようになっていた大伴昭さん。暴言を吐きながら、ダイニングテーブルをひっくり返してしまったそう。
さらには、竹刀を振り回して怒ることもあったといいます。
耐えかねた芳村さんは、警察に通報しますよと諭す日々。そんな日常が続いたある日、警察から一本の電話がかかってきました。
警察によると、夫の大伴昭さんは近所の工事現場で、工事関係者と口論になっていたとか。
それ以来、頻発する夫の徘徊に芳村さんは悩まされていたそうです。
時には無賃乗車でバスに乗り、警察のお世話になることもあったとか。夫の徘徊がきっかけで、芳村さんは警察と顔なじみになったといいます。
約10年にわたって夫を介護していた芳村真理さんでしたが、一人で世話をすることに限界を感じ、介護施設のデイサービスを利用することになりました。
芳村真理と再婚旦那・大伴昭の別れ
夫の大伴昭さんは、見ず知らずの人に世話をされるのを嫌っていたとか。
さらに認知症で気難しくなっており、芳村真理さんはデイサービスの利用をためらっていたといいます。
しかし、スタッフの対応がとても気に入った様子の夫は、楽しそうにデイサービスへ通うように。
その後、横浜の庭付きの部屋がある施設に入居した大伴昭さん。妻の芳村さんはあちこちの施設を巡りながら、約2年かけて横浜の施設を選んだそうです。
この頃になると夫の大伴さんは、妻の芳村さんの事を全く認識できなくなっていたそうですが、芳村さんはオシャレをして施設に通っていたとか。

常に女性らしく綺麗でいることが、芳村さん流の妻としての心得だったのかもしれません。
施設に入居してから半年後の2018年12月、夫の大伴昭さんは眠るように亡くなったそうです。
約50年間連れ添った夫婦。芳村真理さんは10年間の介護生活を振り返り
今振り返ると良い思い出しかないのよ。体も大きな人だったし、世話をするのも一苦労だったはずなんだけれど、大変だったことは全然思い出さない。
引用元:週刊朝日
とメディアの取材で語っています。
妻や子供や孫たちに囲まれ、スーッと息を引き取ったという大伴昭さん。享年89歳でした。
未亡人(独身)となった芳村真理さんは、2023年現在茅ケ崎の自宅で一人暮らしをしているそうです。
夫の大伴さんが亡くなった当時は、共用していた香水を嗅ぐのも嫌だったものの、今では出かける時にその香水をつけているとか。
香水をつけると、旦那さんと一緒に出掛けているような安心感があるといいます。
愛する夫・大伴昭さんと過ごした記憶や思い出は、一生消えることはないですよね。
芳村真理【結婚歴2回】元夫はミッキーカーチス!

芳村真理さんの最初の結婚は1962年。お相手は、ロック歌手で俳優のミッキー・カーチスさんです。

当時、芳村さんは27歳でミッキーカーチスさんは24歳。3歳下の旦那さんということになりますね。
お二人の出会は1959年頃。音楽番組「ザ・ヒットパレード」で、芳村さんとミッキーさんが初代司会を務めたことがきっかけでした。

芳村真理さんは結婚当時の記者会見で、『仕事は出来るだけセーブして、彼に尽くしたい』と話していたとか。
一男にも恵まれた夫婦でしたが、わずか2年後の1964年に離婚します。

その後、芳村さんは一人息子を連れて大伴昭さんと再婚。
一方元夫のミッキーカーチスさんは、1971年にタレントの西野美代子さんと再婚。息子2人に恵まれたものの、2002年に離婚訴訟を経て離婚しました。
バツ2となったミッキーカーチスさんですが、2008年にはなんと33歳も年下のピアノ講師と再々婚。お二人はカフェで出会ったといいます。
33歳も年齢が離れた3番目の妻について、ミッキーさんは『無理せず一緒にいられる相手』と、奥さまにベタ惚れなのだとか。
2016年には、タイのプーケットへ夫婦そろって移住。
しかし2022年10月、奥さまと共に2匹の愛犬を連れて北海道名寄市に引っ越したそうです。
再婚旦那の大伴昭さんと50年間添い遂げた芳村真理さんとは、全く違った人生を歩んでいますね。
まとめ
芳村真理さんの結婚について紹介しました。
再婚旦那・大伴昭さんのサポートで、日本を代表する女性司会者となった芳村真理さん。
レギュラー番組を降板してからは、夫婦水入らずの暮らしを送っていましたが、夫が認知症を患い10年間の介護を経験しています。
約50年間も連れ添った夫婦。大伴さんは亡くなってしまいましたが、妻芳村真理さんの記憶の中で生き続けていうようです。

