性別が不明ながらも神秘的なオーラがある美輪明宏さん。
そんな美輪明宏さんですが、若いときに三島由紀夫さんと関係があったことが明らかとなり話題となっています!
その関係はどのくらい親密だったのか、また片思いだったのか気になりますよね。
また、三島由紀夫さんがボディビルに目覚めたきっかけは美輪明宏さんと言われていますが本当なのでしょうか。
この記事では若い頃の美輪明宏さんと三島由紀夫さんの関係についてまとめています!
美輪明宏|若い頃の三島由紀夫との関係は恋人?
https://twitter.com/6YJtuu0VgnbF4ND/status/1261308526355308544?s=20
美輪明宏さんと言えば、少し謎めいた存在ですが、若い頃は作家の三島由紀夫さんと深く関係していました。
美輪明宏さんと三島由紀夫さんは、恋人関係だったのでしょうか。
ここからは、美輪明宏さんと三島由紀夫さんの出会いから、恋人関係の話まで、詳しくご紹介したいと思います(^^)
美輪明宏と三島由紀夫の出会い
美輪明宏さんは、若い頃かなりのイケメンでした。
2021年になり、いわゆるジェンダーという言葉が認知されていますが、当時は差別の強かった時代。
イケメンであることに加えて、性別を超えた姿に魅力を感じた人が多くいたものの、社会の差別や偏見と闘って過ごしていました。
そんな美輪明宏さんが三島由紀夫さんと出会ったのは1951年。
当時、美輪明宏さんは音楽学校に通いながら、銀座のお店でウェイトレスとしてアルバイトをしていました。
美輪明宏さんが当時働いていたそのお店は、1階が喫茶店、2階が綺麗な女性がたくさんいるクラブ。
当時、2階にあるクラブには、官公庁に勤めている人や各界の著名人が多く来店していました。
その時のお客さんの1人が、三島由紀夫さん。
当時ウェイターとして働いていた美輪明宏さんも、2階に呼び出されることも多く、その時に三島由紀夫さんと美輪明宏さんが出会いました。
その時、三島由紀夫さんは、
「(美輪明宏さんを)呼んで来い!」
とマスターに何回も言っていました。
しかし、当時の美輪明宏さんは、
「ふん、何が三島由紀夫だ」
「新進作家だなんて行く必要ない」
「芸者じゃないから行かない」
と思っていたそうです。
しかし、美輪明宏さんが断っていても三島由紀夫さんも折れることなく指名を続けていました。
6回、7回と呼ばれているところを見たマスターが
「もうとにかくおこずかいあげるから、お願いだから行ってくれ」
と美輪明宏さんのお願いし、美輪明宏さんは三島由紀夫さんの元へ。
三島由紀夫さんは、美輪明宏さんに向かい、
「まあ、座れ」「何か飲むか」
と聞きました。
この時、美輪明宏さんは
「芸者じゃないから結構です」
三島由紀夫さんは、
「生意気でかわいくない子だな」
と返して来たため、
すぐさま美輪明宏さんも
「奇麗だからかわいくなくてもいいんです!」
と、こんなやりとりが続き、結局三島由紀夫さんが美輪明宏さんに歌のリクエストをし、友人関係となりました。
美輪明宏と三島由紀夫は恋人関係だった?
美輪明宏さんと三島由紀夫さんが出会ってから、恋人関係や愛人関係という噂がされていました。
しかし、この噂はデマであることを美輪明宏さんが公言。
「私は尊敬する人には恋愛感情を抱きません。尊敬できる人はあくまでも尊敬している人。恋愛感情になってしまうと何かグレードが落ちるような気がするからです。」
記事引用:女性自身
つまり、美輪明宏さんにとって三島由紀夫さんは尊敬している人物。
尊敬している人物に対して恋愛感情を抱かないという考えだったため、あくまで友人関係だったということになります。
美輪明宏と三島由紀夫の片思いの話について
美輪明宏さんと三島由紀夫さんには恋人関係や愛人関係があったものの、美輪明宏さんは否定。
というのも、当時美輪明宏さんは映画俳優の赤木圭一郎さんと恋人関係でした。
拳銃無頼帖シリーズ
赤木圭一郎 pic.twitter.com/h39eOf9UOW
— La・Bunch (@DeadEnd0092) May 3, 2020
しかし、赤木圭一郎さんは撮影中の事故で急死。
この時、落ち込んでいた美輪明宏さんを慰めていたのが、三島由紀夫さんと言われています。
美輪明宏さんと三島由紀夫さんが出会ったのは1951年ののことですが、三島由紀夫さんは1958年に結婚。
美輪明宏さんには恋愛感情がなかったことから、三島由紀夫さんが片思いをしていたという説が濃厚となっています。
https://twitter.com/owakma/status/1311322356908875776?s=20
三島由紀夫さんは美輪明宏さんと恋仲にならなかったものの、作品で美輪明宏さんをモデルにして執筆。
美輪明宏さんが三島由紀夫と出逢ったのは昭和26年のこと。銀座4丁目のアルバイトをしていたお店に、やって来た三島がその美貌に惚れ込み、ウィットに富む会話にますます気に入った。のちに戯曲『黒蜥蜴』を宛て書きされたほか、短編小説『孔雀』は美輪さんをモデルに書いている。 #関ジャム pic.twitter.com/ZwKIsbpFuQ
— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) August 19, 2018
三島由紀夫さんが美輪明宏さんの依頼で歌手として出演したこともありました。
54年前に撮影された三島由紀夫と美輪明宏。
1966(昭和41)年に行われたチャリティコンサートのリハーサル時に撮影された写真。
三島は美輪の依頼で、コンサートに歌手として出演。美輪が演出指導を担当した。
『ノーサイド』1995年11月号(文藝春秋)より。 pic.twitter.com/pExPbaHZFz
— 中井かんいち (@ichikawakon) June 29, 2020
他にも、1968年公開映画『黒蜥蜴(くろとかげ)』で共演。
この時、美輪明宏さんと三島由紀夫さんはキスシーンがありました。
美輪明宏さんがリハーサルの際、唇に触れずに終わらせると、三島由紀夫さんから 「どうしてキスしない?」と言われそうです。
こういったこともあり、この作品のキスシーンは三島由紀夫さんが美輪明宏さんとキスがしたいため、作られたシーンとも言われています。
三島由紀夫さんが美輪明宏さんにかなり好意があったことが伝わりますね!
美輪明宏と三島由紀夫のボディビル秘話が衝撃
三島由紀夫さんは、幼少期から体が弱いこともあり、その体型にコンプレックスがありました。
そして、昭和30年ごろになると肩にパッドが入ったものが主流に。
当時、美輪明宏さんと三島由紀夫さんがダンスをしている時、
「どこもかしこもパッド、パッド、パッド。三島さんがいなくなっちゃった。パッドだらけね」
と美輪明宏さんが言うと、三島由紀夫さんは顔色を変え、
「俺は不愉快だ。帰る!」
と怒り、お金も払わないで帰ったそうです。
美輪明宏さんが冗談で言った言葉でしたが、これ以来三島由紀夫さんとは約半年ものあいだ音信不通になってしまいました。
しかし、ある日、三島由紀夫さんから「出て来い!」という電話があり、美輪明宏さんが居場所を聞くと後楽園にいることが発覚。
美輪明宏さんが後楽園は向かうと、三島由紀夫さんが居たのはボディビルのジムでした。
- ボディビル
- 剣道
- ボクシング
- 居合
スポーツにかなりのめり込んでいてのめりこみ、華奢だった体はかなり筋肉質な体に変化していました。
https://twitter.com/Anuides/status/1330138361546362888?s=20
つまり美輪明宏さんが冗談で言った一言が、三島由紀夫さんが体を鍛えるきっかけとなったということ。
昔、三島さんと石川慎太郎さんのことを世間がよく比べていました。私は余計なことだと思いつつも、「世間はお2人をライバル同士だと言ってますけど、三島さんご自身はどう思ってらっしゃるの?」と聞いたことがあるんです。
すると三島さんは、「悔しい。俺は石原慎太郎に負けてる」とおっしゃった。私は思わず、「エッ、どうして?だって、彼の小説とあなたの純文学とは比べものにならない。なぜ、負けてるなんておっしゃるの?」と聞くと、「あいつは俺より脚が長い」って(笑)。その場で大笑いしましたよ。
記事引用:女性自身
才能のある人でもやはり周囲とは比べてしまうのかもしれませんね。
まとめ
美輪明宏さんと三島由紀夫さんの恋仲について、またボディビルについてまとめました!
恋人関係にはならなかったものの、多くの噂があった美輪明宏さんと三島由紀夫さん。
それだけ親密な関係に見えていたことがわかりますね!
美輪明宏さんの一言で体を鍛えるようになった行動力にも驚きです。
最後までお読みいただきありがとうございました!