元総理大臣の菅義偉さんは秋田県の農家出身。高校までは地元で暮らし、卒業後は親の反対を押し切り上京されています。
今では政治家として日本を引っ張っていますが、最初の出馬は苦労の連続でした。
政治的な後ろ盾もないなか、並々ならぬ努力で見事当選を勝ち取ります。
二世でもなければ、東大卒のエリート官僚出身でもない、叩き上げの政治家なんですね。
今回は菅義偉さんの生い立ちを漫画を交えながらわかりやすく紹介していきます。
漫画|生い立ち①菅義偉はいちご農家出身!家出同然で上京?
- 氏名:菅 義偉(すが よしひで)
- 生年月日:(西暦)1948年12月6日
- 出身:秋田県
- 血液型:O型
- 兄弟:姉2人 弟1人
- 出身大学:法政大学
第99代内閣総理大臣を務めた菅義偉さんは、秋田にあるイチゴ農家の長男として生まれます。
菅義偉さんのお父さまは戦後いちごの新品種を開発し、秋の宮いちごをブランド化されたとか。
また、いちごの生産組合組合長で秋田県のいちごの第一人者のようです。
菅義偉さんは長男として家の手伝いをしながら、地元の高校を卒業しています。
お父さまとしては長男にいちご農家を継いで欲しかったのではないでしょうか。
お姉さん2人は共に高校教諭になられたそうですが、弟さんの情報は見つけることが出来ませんでした。
もしかしたら弟さんが地元でいちご農家を継いでいる可能性もありますね。
高校卒業後は「東京へ行けば何か変わるかもしれない、東京で自分の力を試してみたい」という気持ちが強くなり、集団就職で上京したのですが…。
お父さまは猛反対しており、なかば家出同然での上京となりました。
夢を持ち上京した菅義偉さんは、上京後は段ボール工場で働いたものの、数ヶ月で辞めてしまいアルバイト生活を送ることになりました。
漫画|生い立ち②菅義偉は若い頃から苦労人!学費を稼ぎ法政大学を卒業
上京して2年後、働いて貯めたお金で法政大学法学部政治学科に入学しました。
法政大学を選んだのは、
当時、私立大学の中で一番学費が安かった
という理由だったそうです。
在学中もさまざまなアルバイトをしながら大学を卒業されている菅義偉さん。その内容は
- NHKのガードマン
- カレー店
- 築地市場の台車運びなど
慣れない地で働きながら大学を卒業された菅義偉さんは、相当な苦労人と言えるでしょう。
地元に戻っていちご農家を継ぐという選択肢もあったはずですが、絶対に東京でなにかをやり遂げるぞ!という強い思いがあったのでしょうね。
大学卒業後は建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に入社。ところが、入社してまもなく
『人生は一回きりだから自分の思うように生きたい』
『世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい』
と思い立ち、26歳のときには政治家を志したそうです。
入社して2年後、法政大卒OBの国会議員事務所に紹介を受け、小此木彦三郎元通産大臣の秘書となり、そこから11年にわたる秘書生活が始まります。
この秘書時代に5歳年下の真理子夫人と出会ったそうです。
「真理子夫人は秘書仲間だった女性のお姉さんでした。
菅さんは『(パッと見て)なんとなく(結婚する)』と、“ひと目ぼれ”だったと番組で私に話してくれました。
真理子夫人はしっかりした方です。
38歳で横浜市議からスタートされた菅さんが厳しい選挙戦を戦ってこられたときも、常に夫を信じて支えていた。
『必ず政治家として大きな仕事をすると信じています』と笑顔で話していたのが今も印象に残っています」
– 女性自身より山本一太元議員の話-
http://migration.hatoltd.com/archives/11192
http://migration.hatoltd.com/archives/11265
漫画|生い立ち③菅義偉の叩き上げ人生が凄い!地盤ナシから成り上がり当選?
小此木彦三郎元通産大臣の秘書を始めて11年が経った38歳のとき、横浜市西区から市会議員に立候補を決意します。
当時幼い3人の子供がおり、さらに現職は自民党の有力議員であったため、周囲からも猛反対を受けました。
辞めたその日から、菅は、ひとりで西区の家を一軒一軒まわり始めました。
一日300軒、4月の選挙前までに3万軒をまわり、6足の靴がダメになりました。
ある日、菅が行った家は、別の候補者を支持する家だったそうですが、彼の靴を見て、なんでそんなボロボロの靴を履いているのか聞いたそうです。
そして、事情を知った家の人は「これだけの苦労をしてるのだから、菅さんは、必ず当選するよ」と言われたそうです。
お昼に蕎麦屋に入った時、菅は一度倒れました。
一緒にいた人が休んだ方がいいと言ったら、菅は、平気ですと言って、また一軒一軒、家をまわったそうです。
-菅オフィシャルブログ 2001年掲載-
そして持ち前の負けん気と行動力でみごとに初当選となります。
何かを成し遂げるには役職も努力もどちらも必要で、どちらも手に入れるためには努力を惜しまない、政治家の鏡のような人です。
そして横浜市会議員として活躍中、権限と財源が国家政府に一元化されている状況に疑問を持ったといいます。
地方にも力を持たせる国家を目指し、横浜市会議員を辞職した菅義偉さんは、47歳で衆議院に初当選となります。
菅義偉さんは当時の内閣官房長官だった梶山静六官房長官を政治の師と仰いでおり、1期生ながら自民党を変えようと必死だったようです。
常々、梶山静六長官は菅義偉さんに
官僚は説明の天才であるから、政治家はすぐ丸め込まれる。おまえには、俺が学者、経済人、マスコミを紹介してやる。
その人たちの意見を聞いたうえで官僚の説明を聞き、自分で判断できるようにしろ。
と語っていたそうです。
判断力はトップに立つ人間にとっては最も大切なことかもしれません。
菅義偉さんが信頼され、国民に愛される政治家になることが出来たのは、梶山静六官房長官の教えがあったからこそなのかもしれません。
まとめ
田舎の農家から政界に飛び込み、苦労しながらも素晴らしい功績を残した菅義偉さん。
芯が強く、日本を良くするためには努力を惜しまない、とてもかっこいい政治家です。
日本の未来をより明るくしてくれることを期待しています。