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宮城天の小学校は?中学高校まで紹介!川崎出身ハーフで父親がミャンマー人

川崎フロンターレで活躍している宮城天選手の学歴や経歴に注目が集まっています。

宮城天選手さんは、なんとミャンマー人と日本人のハーフだそうです。

今回は宮城天選手にまつわる

  • 生い立ちや両親
  • 名前の由来
  • 小学校・中学校・高校
  • 高校時代に怪我でプロを諦めた

についてご紹介していきます。

ぜひ最後までご覧ください!

宮城天【生い立ち】川崎出身のハーフ

宮城天選手は2001年6月生まれ、神奈川県川崎市の出身です。

  • 宮城天(みやぎ てん)
  • 生年月日:2001年6月2日
  • 年齢:22歳(2024年2月時点)
  • 出身地:神奈川県川崎市
  • 身長/体重:176cm/68kg
  • ポジション:FW

宮城天選手の父親はミャンマー人で母親は日本人。宮城選手はハーフになります。

とてもマイペースな性格という両親。宮城選手は両親のどちらにも「似てない」そうです。

父親と母親の顔が気になりますね。

ただ、残念ながら両親の顔画像などは公表されていないため、実際に確認することはできませんでした。

宮城選手といえば『天』という個性的な名前が印象的。この『天』という名前の由来については

かっこいいからじゃないですかね?(笑)。兄も漢字2文字で、響きがいいので」。

と話しています。

生まれも育ちも川崎なので、ハーフとはいうものの雰囲気は純日本人ですよね。

ハーフということを知らないファンも多く「え?宮城天ってハーフなの?」という驚きを持つ人も、いまだに多いようです。

宮城選手は幼稚園から小学校に上がる頃にサッカーを開始。

自宅の目の前(徒歩10秒)にある公園で友達とサッカーをしていました。

宮城天の学歴や経歴を詳しく紹介

ミャンマー人の父親と日本人の母親という両親の間に授かった宮城天選手。ハーフということですが、生まれも育ちも日本です。

そんな宮城選手の学歴や経歴を見てきましょう。

宮城天は川崎市立下小田中小学校の出身

宮城天選手は川崎市立下小田中小学校の出身です。

宮城天さんは小学1年生のとき、地元の強豪である『橘サッカークラブ』に入団したそうです。

さらに、友人の影響を受けてフロンターレ

  • 下野毛スクール
  • 矢向フットサルスクール(幸・味の素スクール)

にも加入していました。こちらは小学生時代の宮城天選手です。

加入当時から競い合うことを学んでいったといいます。

「橘SCは川崎市大会で2位になったりして強かったけど、スクールにはいろんなチームのうまい子が集まっていて、『楽しく』というより『競い合う』という感じでした。ゲームをした記憶しかないです。子どもで負けず嫌いだったので、とにかく試合をして、勝って喜んだり、負けて泣いたりした記憶がありますhttps://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

小学4年生のときには、セレクションに合格してフロンターレU-10の一員に。ただ、守備は苦手だったようで

守備ができなくて…。小4のとき、5-0で勝っていた試合でセンターバックをやらされて、5-5に追い付かれた記憶があって、トラウマです(笑)https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

というエピソードも明かしています。

小学5年生、6年生のとき『川崎フロンターレU-12』で活躍しました。

こちらは川崎フロンターレU-12時代の宮城天選手。

プロとしてやっていく意識が芽生えたのは小学6年生の頃だったそうです。

宮城天は川崎市立井田中学校の出身

宮城天選手は川崎市立井田中学校の出身です。

中学時代(2014年 – 2016年)は川崎フロンターレU-15に所属。

こちらの画像は中学時代の宮城天選手です。

その実力を買われて、早い段階から1学年上のチームでプレーしていたという宮城天選手。

中学2年生だった宮城天は、ひとつ上の学年の選手たちとともに、関東ユース(U-15)サッカーリーグを戦っていました。

色んな先輩たちから刺激を受けながら、フロンターレのアカデミーで順調に昇格を重ねていきます。

宮城天は川崎市立幸高校の出身

宮城天選手は川崎市立幸高校の出身です。

川崎市立幸高校の偏差値は44なので、学力はごく一般的なクラスの高校です。

宮城天さんは高校1年時から中心選手に成長。

高校1年の夏には神奈川県代表として国体へ出場しており、人生初の「日本一」を経験しました。

しかし、高校2年生のときに左膝の後十字靱帯(じんたい)の怪我に見舞われます。

怪我を負った宮城天選手は「プロになる夢を諦めかけた」そうです。詳しく見ていきましょう。

宮城天【高校時代】怪我でプロを諦めた?

高校2年生のとき、左膝の後十字靱帯(じんたい)の怪我を負った宮城天選手。

「高2の夏くらいまで順調に来ていて、調子が良くて。自分で言うのもなんだけど、良い感じだ、と思っていたんですよ。でも、高2の7月に左膝の後十字靱帯(じんたい)を断裂しちゃって、そこからずっと苦しかったです。高3の夏くらいまで、ずっとキツかった」https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

復帰には全治4ヶ月~5ヶ月を要し、ピッチに戻ってからも本来のプレーはなかなか取り戻せない時期が続いたそうです。

宮城選手は途中から、プロは無理だろうと諦めを感じていたといいます。

ケガする前は自分の思い通りに何でもできていたイメージだけど、ケガしてから何もできなくなった。ただの選手になっちゃった。普通の、プロレベルの選手ではなかったです、その時期は。プロは無理だな……と思い始めました。https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

しかし、高校3年生の6月にはプロ入りが内定。

強化部は「怪我の影響や、怪我前の実績」も考慮し、内定を決めたとされています。

「ケガをする前のプレーは、強化部長(当時)の庄子含めて、みんな知っていました。技術があって、スピードも悪くなかった。高2の段階で、『このまま行けばトップ昇格だね』と話していたんです。ケガをしてしまって、確かにプレーは良くなかった。誰が見ても、昇格できるような選手じゃなかった。でも、それはケガの影響。ドクターも『一生戻らないわけじゃない』と言っていました。本来の力は、ケガ前の試合を見に来ていた強化部も知っている。モノは持っているな、という印象がありましたhttps://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2021/04.html

宮城天選手は高校卒業後の2020年、川崎フロンターレからプロデビューを果たしました。

今後も宮城天選手の活躍に期待したいですね。