2020年10月4日に高田賢三さんが亡くなられました。
そこで気になるのが高田賢三さんの家族。
嫁や子供はおらず、代わりに大切なパートナーが居たそうです。
その方はグザビエ・ド・カステラさん。
どうやら伯爵貴族のようで…?
詳しく見ていきましょう。
高田賢三のプロフィール!実家は兵庫県姫路市
高田賢三さんは1939年2月、兵庫県姫路市の生まれ。
兵庫県姫路市の実家は市内の花街で待合を営んでいました。
神戸の外語大に進んだものの、東京の文化服装学院が男子を初めて募集していることを知り、アルバイトで学費をためて入学。
卒業後は、銀座の三愛などでデザインの仕事をして64年に船旅でパリへ。
パリ滞在は半年間のつもりが、生活費の助けにと描いたデザイン画が予想外の大好評となります。
デザイン画が売れ、パリのアパレル会社からのスカウトもあって滞在を延長することに。
そこからデザイナーとしての人生が開けていくことになりました。
高田賢三の家族は建築家グザビエ・ド・カステラ?
高田賢三さんは結婚しておらず生涯独身。
しかし、家族のように親しくしていたパートナーが居ました。
それがグザビエ・ド・カステラさん。建築家でした。
グザビエ・ド・カステラさんとは、フランスで知り合い、公私ともに親しい存在に。
そして共同生活を送るようになったといいます。
上の写真の邸宅は、高田賢三さんがグザビエ・ド・カステラさんと建てた家。
建築家だったグザビエ・ド・カステラさんと一緒に設計しふたりは20年間この家に住んだそうです。
しかし、グザビエ・ド・カステラさんに先立たれました。
グザビエ・ド・カステラさんが亡くなってから、高田賢三さんの会社が傾いたことから
仕事面でも精神面でも、高田賢三さんの支えとなる人だったことがわかります。
高田賢三さんのパリの自宅について詳しい記事はこちらに書いています。
http://migration.hatoltd.com/archives/12588
高田賢三とパートナーとの結婚や破産の真相は?
グザビエ・ド・カステラさんとの出会いや思い出について、高田賢三さんは自身の著書で明かしています。
グザビエ・ド・カステラさんは、生まれながらに莫大な遺産を抱える伯爵貴族。
伯爵の称号は、そのむかしルイ14世から伯爵の称号をもらったとか。
あくせく働く必要のない恵まれた家系の生まれでした。
そんな彼と出会ったのは、とある夕食会。
出会いはパロマ・ピカソ(パブロ・ピカソの娘)の誕生日の夕食会。
カール・ラガーフェルド、そのパートナーのジャック、そして私の正面に座ったのがグザビエだった。
俳優クリント・イーストウッドに似た風貌。
照れると口髭(ひげ)を触る癖がある。最初はたわいもない会話を交わしたが、すぐに大変な教養の持ち主であることが分かった。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
俳優クリント・イーストウッドというのは、こんな男性です。
かなりのイケメン…!
実際にネットで出回っているグザビエ・ド・カステラさんの画像はこちらです。
写真左が若い頃の高田賢三さん、写真右がグザビエ・ド・カステラさんだそう。
グザビエ・ド・カステラさんは、建築家としても造詣が深く、やがて一緒に豪邸を建てて住む間柄になりました。
建築を学んでいて欧州の古城の歴史や構造などを熟知している。日本建築にも造詣が深く、桂離宮や龍安寺に込められた思想や様式についても分かりやすく教えてくれた。
私は好印象を抱いた。
美意識や感性が自分に合っている気がした。
すぐにジャックら仲間たちと一緒にバカンスをカリブ海やエーゲ海、バリ島で過ごすようになり、やがて服作りやビジネスの助言も受けるようになる。
ごく自然の成り行きでパリで一緒に暮らし始めた。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
伯爵貴族だったグザビエ・ド・カステラさんの美的センスに助けられ仕事の助言を受けるように。
そして最終的にはフランスに和風の邸宅を建てて一緒に暮らし始めたのです。
グザビエからは人間として素晴らしい刺激を受けた。
多くの教養を学ぶこともできた。
それが私のデザイナーの仕事にどれほど役立ったことか。
共同経営者も紹介してくれたし、会社が困ったときには資金も援助してくれた。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
高田賢三さんとグザビエ・ド・カステラさんとは結婚はしていなかったようですが
彼に先立たれてからは、高田賢三さんの会社は経営が傾いたと言われています。
グザビエ・ド・カステラさんの死因は「エイズ」と言われていますが真相は不明。
高田賢三さんの会社は
- 共同経営者のフランソワ・ボーフュメとの確執
- パートナーのグザビエさんの死去
- パタンナー近藤淳子さんの脳梗塞
という不幸に見舞われ、経営が立ち行かなくなったとか。
最終的には、1993年に『KENZO』を売却しています。
売却していることから、破産したわけではなさそうですが…。
仕事面でも精神面でも、高田賢三さんの支えとなる人だったことがわかります。
高田賢三とパートナーのロマンティックなエピソード
運命的な出会いを果たし一緒に住むようになったふたり。
そんなふたりの思い出の地はベルサイユ宮殿です。
「ケンゾー。ぜひ見てもらいたい風景があるんだ」
夏のある日。グザビエから誘われたことがある。ベルサイユ宮殿に行こうという。
不思議に思いつつも一緒に出かけることにした。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
ベルサイユ宮殿は
- 迷路のように入り組んだ宮殿
- 幾何学模様の花壇や運河が広がる庭園
が有名です。
そして最も優雅なのが宮殿内の「鏡の間」。
敷地をゆっくり散策したが、どこが絶景なのかなかなか教えてくれない。
グザビエはしきりに時計を気にしていた。太陽が西に傾き、周囲が幻想的な色彩を帯び始める。その瞬間、グザビエが叫んだ。
「いまだ。振り返って!」
ベルサイユ宮殿の西側に立っていた私は息をのんだ。
なんという光景だろう。
西方に真っすぐ延びる運河の先に定規で測ったかのように大きな夕日が輝いている。その逆方向では宮殿の「鏡の間」が太陽光線を反射し、館全体が今にも燃え上がりそうなほど鮮やかな緋(ひ)色(いろ)に染まっていた。
寸分の誤差もない。
その時刻に庭の大運河と「鏡の間」が太陽光線で射抜かれるように建築家が設計していたのだ。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
自然と科学の融合――
そこにはものづくりに心血を注いだ先人たちの心意気が込められていた。過去の知恵者との対話があった。
私は驚嘆を隠せなかった。
「ね、分かったかい?」
放心状態の私を見ながらグザビエが満足そうに笑った。
引用:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11045150U6A221C1BC8000/
2020年10月4日に高田賢三さんが亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。
http://migration.hatoltd.com/archives/12588