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新元号「令和」で初めて使われた漢字「令」の意味や由来は?万葉集では「令月」で使用!



2019年4月1日、新元号が「令和」と発表されました。出典は日本の古典、万葉集です。この「令和」という2字のうち、「令」は元号で初めて使われた漢字とのこと!

漢字「和」は「おだやかな、争いのない」という意味があり、これまでも元号で19回も使われている一方で、漢字「令」は、元号で初めて使われた漢字です。

元号で初めて使われた漢字ということで、学者からもとても注目されています。「令」にはどんな意味があるのでしょうか?

また、万葉集では「令月」という言葉で歌われていますがその意味もご紹介したいと思います。





新元号「令和」が発表!

新元号は「令和」と発表されました!

「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、新しい文化、新しい時代を切り開いていくという思いが込められているとのことです。

新元号「令和」で初めて使われた「令」の意味や由来は?

漢字「令」の意味

漢字「令」にはどのような意味があるのでしょうか。「令」には

立派な、清らかで美しい、おめでたい、喜ばしい

という意味があります。また、古い意味では「令」には

神様のお告げ

という意味もあります。以下に基本情報を載せておきます。

読み方:レイ

名のり:おさ、なり、のり、はる、よし、れ

画数:5

なお、名のりとは人名のみに使える漢字の読み方のことです。

漢字「令」の由来

漢字「令」にはどのような由来があるのでしょうか。「令」は

頭上に頂く冠とひざまずく人の図が組み合わさって生まれた漢字

と言われています。

「令」の初めの二画は、「集める」を意味する文字であり、「令」の次の三画は、「人」を意味します。

「令」という字を政治的に「頭上の冠の象徴に人がひざまずく」という意味で捉えてしまうと支配的でネガティブな印象もありますが、これは非常に窮屈な捉え方でしょう。

これからの時代において、「冠」が権力を意味するとは限りません。国民一人ひとりが持つ志や思い、心の在り方こそが、冠(神)である。

人々の支持や共感を得られた冠こそが、これからの時代人々が集う場所となる、というふうに広い意味に捉えると、とても清々しい気持ちになります。

漢字「令」のイメージ

漢字「令」にはどのようなイメージがあるのでしょうか。

漢字の持つ意味から、聡明な人をイメージさせる。

「人望のあるリーダーに」という願いを込めて名づけることができる。

日本が次世代のリーダー的な存在になるとの暗示もあるかもしれませんね。ちなみに、「令」のイメージには次のようなものもあります。

令聞(れいぶん):よい評判。立派な声望。

皆令満足(カイリョウマンゾク):仏が慈悲の心で衆生の願いをすべて叶え、満足させること。

漢字「和」はこれまでも元号で19回も使われている一方で、漢字「令」は、元号で初めて使われた漢字です。

元号で初めて使われた漢字ということで、学者のからもとても注目されています。人名でもあまり使われることがない漢字だと言われており、その意外性が話題を呼んでいます。

新元号「令和」の漢字「令」は未採用元号一覧に登場

漢字「令」は、今回「令和」で初めて正式に元号に採用されました。

ただ、歴代元号には未採用元号一覧というものがあり、これまでに未採用となった元号の数は計524個あると言われています。

その未採用元号一覧の中に、過去に「令」を使用した元号候補が1つだけあります。その元号とは「令徳」です。

「令徳」は「文久」(1861~1864年)と「元治」(1864~1865年)の元号決定の際に候補として提案された元号

「文久」(1861~1864年)は、「元治」の1つ前の元号。「元治」(1864~1865年)は、日本の幕末時の元号「慶応」(1865~1868年)の1つ前の元号です。

「令徳」は、漢文学者の高辻修長によって提出されましたが、「徳川(幕府)に命令する」とも解釈できるとして不採用となりお蔵入りになってしまったと言われています。

漢字「令」は幕末依頼の復活当選ということになりますね。

新元号「令和」の出典は万葉集で日本古典から!

国書「万葉集」では「令月」という言葉で歌われている

 

「令和」の出典は日本古典の万葉集からです。日本の国書である万葉集からの出典は初めてとのことで話題を呼んでいます。

出典:「万葉集」第五巻

書き出し文:初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

万葉集では「令月」という言葉で漢字「令」が使われています。「令月」の意味は

何事をするにも良い月、めでたい月

新しい時代の始まりとして、「令」には新元号にふさわしい意味が込められていますね。また、和歌の意味は次のようなものです。

春の初めの良い月に

さわわかな風が柔らかく吹いている

その中で梅の花が

美しい女性が鏡の前でおしろいをつけているかのように

白く美しく咲き

宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように

薫っている

この和歌を書いたのは一説に大伴旅人とも、また山上憶良ともいわれていますが、歴史上作者不明となっています。

万葉集は、さまざまな身分の人が詠んだ4500首以上を収録している日本最古の和歌集であり、「令和」の出典となった歌は、梅花の歌と言われています。

この歌が発想された場は判明しており、天平2年(730年)正月13日に大宰府の長官ともいえる大宰帥の大伴旅人の家に集まり、梅を楽しんだ際に生まれたとされています。