今回は、矢沢永吉さんの住まいについて取り上げます。
スーパースターの現在のご自宅はとんでもない大豪邸のようです。
以前は山中湖にも立派なご自宅があったようですがどうなったのでしょうか。
また、お金持ちになる以前の住まいの変遷もたどってみましょう。
矢沢永吉の現在の住まいは大豪邸!
現在の場所は南麻布
矢沢永吉さんの現在のご自宅は、東京・南麻布と噂されています。
麻布地区は住宅街がメインの街となっており、富裕層が多い高級住宅街としても有名です。
閑静な住宅地でありながら、渋谷や新宿などへのアクセスは15分程度。
永田町や目黒へも直通で簡単に行くことが出来ます。
ただ、その分、物価は高く分譲マンションでも3000万円~1億円といった高級物件と呼ばれるところも少なくなく、賃貸で借りると1ヶ月4LDKで家賃200万円というクラスも多いようです。
現在の自宅の間取りと画像
矢沢さんのご自宅は地上4階建てとなっており、地下は3階まである大豪邸です。1階は客間などに使用、2階から矢沢さんや家族が住むスペースになっているようです。
そして、驚きなのは地下の部屋にはバーカウンターや、約50人ほどが入ることのできるライブハウスもあるそうです。(下の写真はイメージですが、、こんなバーかもしれないですね。笑)
山中湖の自宅はどうなった?
山中湖は山梨県南都留群にあります。
矢沢さんは以前は山中湖にご自宅を建てて住んでいたのですが、その自宅が無断で「アサヒ芸能」に取り上げられてしまい、地図にも掲載されてしまいました。
そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、周辺は大騒ぎに。妻はノイローゼ寸前、子どもたちは登校拒否となり、、矢沢さんは仕方なく他の地区へ引っ越したそうです。
ただ、その後、空き家になった住居に一部のファンが侵入し、
- スプレーで落書き
- 板を剥がして焚き火
- 無造作に女性下着が残される
など、悪質な行為がエスカレートしたため、ご自宅を取り壊すことにしたそうです。
矢沢永吉の住まいの変遷
矢沢永吉さんは広島県広島市の生まれで幼少期は広島で育ちました。矢沢さんが産まれたのは原爆投下された4年後ことです。
矢沢さんは、歌手になるため広島から東京へ向かう途中、無意識に横浜に降り立ちます。
矢沢さんが横浜に着いて最初に住んだ場所は、弘明寺のアパートだったそうです。
横浜駅を降りたあと、伊勢佐木町を歩いていると『ボーイ求む』という宿泊込の食堂の張り紙を見た。(引用元:自叙伝『成り上がり』)
伊勢佐木町商店街はこんな場所です。
応募すると弘明寺のアパートに入れられた。(引用元:自叙伝『成り上がり』)
当時のアパートは取り壊され、今では別の建物が立っているようです。
続いて、川崎に住んでいたこともあるそうです。場所は京浜急行のとある駅の近くにあるアパートだったそうです。
当時を知る「のり江」という飲食店の店主は次のように話しているそうです。
「ここの2階に住んでたよ。今から40年以上前この店をオープンした年に、矢沢さんと奥さんと子供の3人で『住みたい』と頼んできた。その後奥さんの母も隣の部屋に住むようになったよ」
「彼は普通の細身の若者といった感じだったよ。奥さんはスラッとしたきれいな人でね。当時3人は奥さんの母親の援助を受けていたんじゃない?」
川崎では、矢沢さんは、前妻・すみ子さんご家族と、飲食店「のり江」の2階に住んでいたんですね。写真は「のり江」の2階部分です。
こちらの写真は、アパートの階段部分です。
飲食店「のり江」の店主は
「矢沢さんは彼女を恩に思っていたようで、奥さんと別れて再婚後も、彼女に年に一回くらい会いに来てたよ。義理堅い人なんだね」
とお話されています。
1989年の離婚後も、年に1度くらいは、前妻・すみ子さんの元に挨拶に来ていたんですね。
矢沢さんは、キャロルの結成と解散、ソロ活動中には横領事件、プライベートでは離婚を経験するなど、若い頃から波乱万丈な人生を歩んでいます。矢沢永吉さんに関するその他の記事はこちらに書きました。
矢沢永吉さんの私設応援団に関連する記事はこちら。
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最後までお読みいただきありがとうございました。