2021東京オリンピック・柔道73キロ級代表の大野将平選手。
個人戦に加え、新競技・男女混合団体でのメダル獲得に注目が集まっていますね。
日本の柔道界を代表するトップアスリートの大野選手ですが、その生い立ちや経歴について興味がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は大野選手の生い立ちや出身校、その時々のエピソードについてお伝えします。
ぜひ最後までご覧になってください!
大野将平の生い立ち|小学校時代に柔道開始!きっかけは?
大野選手は山口県山口市出身。
家族構成は父・母・兄の4人家族になります。
大野選手の出身小学校は山口県山口市立良城小学校です。
大野選手が柔道を始めたのは7歳の時。
地元の松美道場スポーツ少年団に通っていたそうです。
おじさんが道場の先生で、2歳上の兄もやっていましたから、僕も子供の頃から柔道をするが当然だった気がします。
出典:https://school.js88.com
この兄・哲也さんの存在が大野選手の柔道家としての進路に大きく影響を与えています。
すでにこの頃には
オリンピックへの憧れを抱いていた
といい、うっすらと将来の目標を持ち始めていたようです。
大野将平の生い立ち|中学・高校時代のエピソード
ここからは大野選手の出身中学・高校についてお伝えしていきます。
中学時代
大野選手の出身中学校は東京都世田谷区立弦巻(つるまき)中学校です。
大野選手は中学生にして親元を離れ、遠く離れた東京の学校に進学しています。
その理由は兄・哲也さんと同じく、柔道の私塾・講道学舎(2015年閉塾)に入塾するためです。
講道学舎とは
東京都世田谷区にあった柔道の私塾
日本全国から将来有望な柔道の「金の卵(中学1年から高校3年)」たちが入門するエリート養成私塾
塾生は全員、世田谷区立弦巻中学校から私立世田谷学園高等学校に通学しながら柔道を学んだ
参考:https://ja.wikipedia.org/
大野選手は身体が決して大きい方ではなく、上京に際して
厳しい練習についていけないのでは
と家族からは最初反対されたそうです。
大野選手は当時を振り返って
柔道をするのであれば、兄と同じ道を進むことが当然のようにも考えていたんだと思います。
参照:https://school.js88.com
とコメントしています。
大野選手の道標として兄・哲也さんの存在がいかに大きかったかがよくわかりますね。
講道学舎で柔道の練習に明け暮れた中学時代は大野選手にとってかなり厳しいものだったようです。
この時期にはつらかった思い出しかない
と中学時代を振り返っています。
高校時代
大野選手の出身高校は東京都私立世田谷学園高等学校です。
中学と同じく、講道学舎に通うために世田谷学園高校に進学しています。
世田谷学園高校は中高一貫制の高校で、高校からの入学組である大野選手はスポーツ選抜枠での入学です。
当時は講道学舎の塾生が全員在籍していたため
全国でも屈指の柔道強豪校
として知られていました。
大野選手は高校2年の時、インターハイ・73キロ級で初優勝しています。
この時期ですでに現在と同じ73キロ級ですので、高校・大学ではあまり身長は伸びなかったのかもしれないですね。
高校2年で全国1位にはなったものの、3年時にはケガに悩まされ全国大会への出場は叶いませんでした。
大野選手は中・高6年間の講道学舎時代を振り返り
6年間はずっと「大野の弟」という呼ばれ方をしていました。それが悔しくて。その気持ちと根性だけで、6年間、講道学舎にいたという感じです。
出典:https://www.iza.ne.jp/
とコメントしています。
兄のようになりたいという強い気持ちが講道学舎でのつらい6年間を支えてきたと言えるのではないでしょうか。
大野将平の生い立ち|大学時代の不祥事とは?
大野選手の出身大学は奈良県私立天理大学です。
これまでと同様、兄・哲也さんの背中を追うように天理大学に入学しています。
天理大学進学は、兄も進んだ道だったので、ほぼ強制的でしたね(笑)
出典:https://school.js88.com/
当時ご本人は天理大学と同じく、柔道強豪校の明治大学に進学したいという気持ちもあったそうです。
結果的には天理大学に入学したことは正解だったと振り返っています。
(天理大学は)明治大学と違って田舎なので色んな誘惑も少なかったからです(笑)
出典:https://school.js88.com/
柔道一筋に打ち込むことのできる環境が、大野選手には合っていたのかもしれませんね。笑
大学時代の大会成績
天理大在学時の主要な大会での実績をご紹介します。
2010年 フランスジュニア国際 | 優勝 |
2011年 全日本ジュニア | 優勝 |
2011年 世界ジュニア | 優勝 |
2012年 ワールドカップ | 優勝 |
2012年 アジア選手権 | 2位 |
2012年 選抜選手権 | 2位 |
2012年 学生体重別 | 3位 |
2012年 講道館杯 | 優勝 |
2012年 グランドスラム・東京 | 優勝 |
2013年 グランドスラム・パリ | 3位 |
2013年 全日本選抜 | 3位 |
2013年 世界選手権 | 優勝 |
まさに快進撃といえる素晴らしい実績ですね!
大野選手は自身の大学時代の実績について
僕にとって一番嬉しかったのは2012年の講道館杯の優勝でした。
出典:https://school.js88.com/
とコメントしています。
2012年にはロンドンオリンピックが開催されており、講道館杯で優勝したことで
オリンピックを目標に自分自身を奮い立たせるきっかけになった
とのこと。
大野選手の競技者人生において
講道館杯での優勝がひとつのターニングポイントになった
と言えるのではないでしょうか。
2013年には世界選手権での初優勝を収め、大学4年生にして世界王者の肩書を手にしています!
天理大学柔道部の暴力問題
大野選手が大学4年時に天理大学柔道部での暴力行為が発覚、連日世間を騒がせる一大スキャンダルに発展しました。
当時大野選手は柔道部主将を務めており、初期の報道では
暴行には関わっていない
と伝えられていました。
この報道を受け、柔道部は活動停止。
大野選手は主将を解任されています。
後に大学側の調査によって別の暴力行為が発覚、こちらには
大野選手も関わっていた
とされ
- 30日間の停学
- 3ヶ月の登録停止
- 強化指定選手の取り消し
といった処分を受けています。
その一方で一部メディアによると大野選手は
暴行には参加しておらず大学を守るために犠牲になった
との報道もされています。
同大関係者は「将平は『ボクは暴力をふるってないですよ』と言ってました。大学を守るために犠牲になったんです」と声を潜める。
出典:https://www.tokyo-sports.co.jp/
体のいいスケープゴートとして利用されてしまったというものですね。
この証言が正しければ、大野選手のくやしさは想像を絶するものだったに違いありません。
報道が二転三転しており、真実は当事者にしか分からない状態です。
とはいえ、天理大学柔道部で暴力行為があったことは間違いなく
主将としての監督責任を問われること
は仕方がないと言えるでしょう。
処分を受け入れ、3か月の謹慎生活中にボランティア活動も経験した大野選手。
大野選手にとってはつらい出来事だったとは思いますが
柔道に対する姿勢を見つめなおし、精神的に成長したと言えるのではないでしょうか。
まとめ
今回は大野将平選手について、生い立ちやその時々のエピソードをご紹介していきました。
いかがでしたでしょうか?
兄・哲也さんの背中を追い続け、日本柔道界のエースと呼ばれるまでに成長した大野選手。
大学時代の不祥事もありましたが、決して腐ることなく自らを見つめなおし
過去のあやまちを乗り越えることに成功した
と言えるでしょう。
冒頭でご紹介した通り、東京オリンピックで大野選手は2種目での出場が予定されています。
1大会で2つの金メダル獲得という偉業が達成できるのか、大野選手から目が離せません!
2021東京オリンピックでは大野将平選手にぜひご注目ください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました!