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楢崎智亜の生い立ち|争い苦手な幼少期〜医学部を断念した過去!出身の小中高校も詳しく

東京オリンピックでは金メダルを期待されている、スポーツクライミングの楢崎智亜選手。

お父様は医者だそうで、楢崎智亜選手も医学部に進むか悩んだといいます。

一体どのような学生だったのかや、出身校も気になりますよね。

ということで、楢崎智亜選手の出身校や医学部進学とクライマーになる道で悩んだエピソードについて詳しくご紹介していきます!

楢崎智亜の幼少期|出身は栃木・争いが苦手な男の子

楢崎智亜選手の出身は栃木県の宇都宮市

宇都宮市にはクライミングのジムなどが多くあり、楢崎智亜選手の他にも

川又玲瑛選手などスポーツクライミングやボルダリングの選手を輩出しているんです。

栃木県には山も多いですし、生まれ育った場所もクライミングをするのに適した環境だったのですね。

楢崎智亜選手は

幼稚園の頃から器械体操を習っており、運動神経がかなり良かった

とのこと。

そして、心優しい少年で争うのが苦手なタイプ

人に遠慮してしまう性格だったと弟の明智さんがインタビューで語っています。

今の楢崎智亜選手からは、あまり想像がつきませんね。

楢崎智亜の小学校時代|兄の影響でクライミング開始!

器械体操は小学4年生で辞めて、

10歳になった頃、お兄さんの通っていたクライミングジム

にたまたま遊びに行きます。

これが転機となって楢崎智亜選手はスポーツクライミングを始めたのです。

「登っているだけで面白かったし、自由に壁を動き回れるのが何より楽しかった」と振り返ったことがある。

すっかりクライミングに魅了され、持ち前の運動能力を武器にメキメキと力をつけていく。

引用:https://olympics.com/ja/featured-news/アスリ-トの原点-楢崎智亜-クライミンク界か誇る-ニンシャ-の基礎は器械体操-人と争うのか苦手たった-少年は東京五輪て完全優勝を狙う

幼少期に器械体操を習うことで運動能力を伸ばし、お兄さんの影響でスポーツクライミングを始めた。

楢崎智亜選手自身の才能もあると思いますが、幼い頃から選手として活躍するのに十分な環境が揃っていたのですね!

楢崎智亜の中学校・高校時代|文武両道で医学部断念の過去?

楢崎智亜選手の出身中学校は作新学院中等部

私立の学校に入学したようです。

小学生で受験を受けたということは、頭も良かったと推測できます。

中学校でも身体能力の高さを発揮し、

・JFAユース選手権3位
・JOCジュニアオリンピックカップ大会3位

とかなりの好成績を残しています。

高校はそのまま作新学院に進学するのかと思いきや、宇都宮北高校に進学

宇都宮北高校は、山岳部が全国大会出場

を何度も果たしており有名です。

作新学院には山岳部やクライミングに触れられるような部活はないので、山岳部のある宇都宮北高校に入学したのではないかと思います。

ちなみに宇都宮北高校の偏差値は58

一般入学だったそうなので、勉強にもしっかりと取り組んでいたのでしょう。

大会に出て成績を残しながらも勉強にも励んでいたとは、まさに文武両道ですね!

楢崎選手は高校時代から世界の大会に挑んでおり

・IFSC世界ユース選手権シンガポール2012 4位

と素晴らしい結果。

国内の大会では

・JFAユース選手権2012 3位
・第15回 JOCジュニアオリンピックカップ大会2位
・2012 クライミング日本選手権2位

とこちらもかなりいい成績を残していました。

忙しい学生の頃からこんなに大会に出場し、好成績を残していたことからも、どれだけ本気でスポーツクライミングに励んでいたのかがわかりますね。

2019年には、東京オリンピックで金メダルを取ることを母校で誓ったんだそうですよ!

高校卒業後クライミング選手になることを決断

両親からは大学進学を勧められていた楢崎智亜選手でしたが、高校卒業後は大学に進学することはなくプロクライマーとして活動を始めます。

僕の世代ですぐにプロになるというのは一人もいなくて、ほとんどの選手が大学に行っていました。

なおかつ成績が一番出てたわけじゃない。

本当に自分がやりたいのはどっちかというのを考えて、クライミングを選んだという感じがあります。

引用:https://the-ans.jp/course/104116/

このようにかなり高校卒業後の道について悩んだそうです。

というのも、楢崎智亜選手のお父様は医者。

お父様は当然子どもに家業を継いでほしいと考えていました。

これに対して楢崎智亜選手は

医者になろうという気はあったのか?という問いには間髪を入れず「最初はゼロです。」と笑いながらも、

「もともと兄が医学部ではなく普通の大学にいてて、僕に回ってきて……。弟は全くなる気がなかった。『あれ、俺しかいない…』というのもあったんです。」

引用:https://the-ans.jp/course/104116/

と答えています。

お父様からも、プロになって2年以内に成績が残せなかったら大学に進学するための勉強をしなさいと言われていたそうで、プレッシャーがかかっていたんだとか。

この言葉を受けて

「僕的にも継いでほしいんじゃないかみたいなのはあった。
ほかの人に任せちゃうのはもったいないかなって、当時は思ったりもしていました。」

引用:https://the-ans.jp/course/104116/

と、医者になろうかとも考えたことがあったそうですが、結果的に本当にやりたいと思ったクライミングの道に進みました。

楢崎智亜選手はちょうど2年で優勝。

お父様もプロクライマーとして認めたのではないでしょうか。

楢崎智亜の生い立ちまとめ

楢崎智亜選手の生い立ちをまとめると

  • 栃木県宇都宮市で生まれ、幼稚園の頃に器械体操を始める
  • 小学校4年生までで器械体操は辞め、兄の影響でクライミングを始める
  • 私立作新学院中等部に入学し大会で好成績を残す
  • 宇都宮北高校に入学し、山岳部に入部
  • 好成績を重ね、大学に進学することはなくプロクライマーに

こんな感じです!

幼少期から器械体操やクライミングに触れ、才能を開花させながらも医大に進学するかプロクライマーになるか葛藤もあったようですね。

それでも自分のやりたいことやその道を信じ、今では

「そんなに悩まなくてもよかったなと。やりたいことをやるのが一番だと今は思っているので。」

と答える楢崎智亜選手は本当にかっこいいです!

今回は楢崎智亜選手の生い立ちについてご紹介しました。

楢崎智亜選手はプロクライマーとなって活躍し、今ではみんなに認められていますがそうなるまで、いろいろな葛藤があったのではないかと推測できますね。

自分のやりたいことを将来の夢として目指してしていいものなのか、迷ってしまうみんなの希望となるのではないでしょうか?

それでは最後までご覧いただきありがとうございました!