今やyoutuberとしても紹介されるようになった寺田ユースケさん。以前HELPUSHで勘違いを起こしたようですがどんな内容だったのでしょうか?
また、寺田ユースケさんのご結婚エピソードや生い立ちについてもまとめました。
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寺田ユースケさんの勘違いとは?
HELPUSHプロジェクト
脳性まひの障害を持つ寺田ユースケさんは2017年4月からHELPUSHプロジェクトを立ち上げました。
道行く人たちに「ちょっと車イスを押してください」と言って進む、HELPUSHプロジェクト 車イスヒッチハイクの旅で、日本全国を廻ります。
ある日、駅員さんに10m先にある階段を登りたいので車イスを運ぶのを手伝ってくださいと頼んだところ、そこは駅の管轄の範囲外なので手伝えませんと言われてしまいました。
虚しく友人に愚痴をこぼしたら、「そんなの道行く人にちょっと助けて貰えば良かったじゃん!」と言われた経験から、「ちょっと助けて」と言えない自分に気づいたとのこと。
このHELPUSHプロジェクトを通して、全国のヒーローたちの力をお借りして、 以前からの夢であった日本全国への旅をするとともに、「夢」を追えること、そして「感謝」を感じる旅を目指したいと意気込んでいました。
寺田ユースケ
#車イス押して【寺田家TV・元車椅子ホスト】
(寺田湧将)
@HELPUSH_STORY8月中旬スタート予定
東北の旅編からは、
車イスヒッチハイクの旅がバージョンアップ予定!バリアフリーアプリと…!?
公式の発表はまだ先…!
PVのストーリー原案がラフラフで完成…!
面白くできたと思います…!
見せるのドキドキ!
HELPUSHプロジェクトの頓挫
車椅子ヒッチハイクを楽しみにしていた寺田ユースケさんですが、2017年8月3日に次のようなツイートが。
寺田ユースケ
#車イス押して【寺田家TV・元車椅子ホスト】
(寺田湧将)
@HELPUSH_STORY勘違いをしていて白紙になっちゃいました!!
しかし折れません!!
もっかい頑張ります!!!
寺田ユースケさんご自身の勘違いが原因でHELPUSHプロジェクトが頓挫したようで、これが「勘違い」と騒がれた理由のようです。
ただ、肝心の勘違いの内容については言及されていないため、現在でも不明となっています。
寺田ユースケと結婚した美人嫁は真弓さん
寺田ユースケさんは2017年に現在の奥様・真弓さんと出会い、同年にプロポーズ、そしてご結婚されました。もしかしたら、HELPUSHのプロジェクトがきっかけだったのかもしれませんね。
プロポーズの言葉は「めゆみ!ずっと僕の車イスを押してください!」だそうです。このときは、奥様は顔出ししていなかったたため、ブログ上は名前をめゆみと呼んでいるようです。
2017年12月22日。
僕のプロポーズはこれでした。めゆみは、『はい。』ってニコッて笑ってくれました。(嬉)
この瞬間、僕の夢が叶いました。
今だからこそ、気がつけたことなんですが…。
思い返すと高校生の頃から漠然と、
スーパースターになりたいという夢がありました。とにかく表舞台に立ちたい。
有名になりたい…。なぜそう思うのか、
実は自分でもわかりませんでした。めゆみに出会って、その理由がわかりました。
もし、有名になることが出来れば、、、
”障がい者”の僕にも、きっとたくさんの女性が振り向いてくれる。
そうすれば、結婚も出来るだろう。
僕のことを認めてくれる人にも出会えるはずだ。
そう考えていたようです。この日、夢が叶いました。
たとえスーパースターになっていなくとも。僕は考えすぎでしたね。(苦笑)
高校生のときのネガティヴな僕に言いたい。
『大丈夫!必ず君を認めてくれる素敵なひとに出会えるから。』
だからその日まで、その日まで生きるんだ。
頑張らなくていい。踏ん張るんだ。
必ず出会えるから。
なんだか、じーんときますね。美人で素敵な奥様に出会えて良かったですね~!
寺田ユースケさんの経歴
生まれた頃から脳性まひ
父親はラグビー、母親はダンス、というスポーツエリートの両親のもとに寺田ユースケさんは生まれました。
当時、障がい児の母親は仕事を辞めて付きっ切りで面倒を見るのが一般的だったそうですが、新米大学教員だった母親は仕事を辞めることなく、自分の研究内容を一新し、障がい者スポーツの勉強を始めてくれたのだとか。
その甲斐あって、手の障害は急速に回復したそうです。このときのリハビリは「あんぱんまんのシール剥がし」だったそうです!
小学生のとき少年野球チームに入団
小学5年生のとき、寺田ユースケさんは少年野球チームに入りたいと言い出しました。
母親は、監督さんやチームの他の子たちのお母さんたちに、「ユースケには出来ないことが多いですが、頑張ると思うのでよろしくお願いします」としっかり伝えてくれていたそう。
初めて公式戦にスタメン出場したときのことは今でも良い思い出となっているそうです。
高校時代は自己否定の日々
寺田ユースケさんは名古屋学院名古屋高等学校に入学しました。
思春期に入り、高校時代は障害のある自分を受けいれられなかったそう。高校1年のときにドクターストップが出て、硬式野球部を辞めないといけなくなったときは、家で母親に
「なんでこんな身体に産んだんだ!バカヤロー!」
と言って、母親が作ったチャーハンのお皿をひっくり返したこともあるのだとか。
そして高校3年生のときは足の手術で4ヶ月入院。主治医の先生がとても理解のある先生で、手術後は寺田ユースケさんのために特別のリハビリメニューを考えてくれたそうです。
とてもハードなメニューだったそうですが、持ち前のストイックさでこなしたそうです。
「僕は、どんなに辛いリハビリにも耐える。それは今まで健常者に混じってキツい野球の練習を乗り越えてきたから。だから特別メニューを作ってください。」と懇願しました。
アウトローの主治医は、まず、足上げを1000回など、1日に12時間以上使わないとこなせない特別メニューを作ってくれました。無茶苦茶です(笑)
マニュアル通りやりなさいと怒る看護師長さんと何度もぶつかりました。 それでも、足が劇的に良くなっていきました。
あまりに動くから、病室に監禁されそうになって、枕で寝たふり人形を作って逃げ出してリハビリしたり、、
1km、2kmと楽に歩けるようになって嬉しくてテンションが上がって、歩きすぎて迷ってしまい病院に戻れなくなり、失踪してしまった、、
など面白いエピソードが残っています。
大学は関西学院大学
関西学院学へ通うために実家を離れ、一人暮らしを始めたそうですが、健常者の足には遠く及ばず、差を感じずにはいられなかったそうです。
このとき母親から車椅子を勧められ、車椅子に乗るようになります。
それまでは
「車イスに乗ったら負けだ」
と拒否していましたが、
いざ乗ってみたら「あれ?」と思うほど快適で、
一気に行動範囲が広がりました。ボクにとっては魔法のアイテム。
「かぼちゃの馬車」と呼んでいます。
大学卒業後は芸人の道へ
大学在学中に単身留学で英国に行ったとき英国のお笑いに影響され、帰国後にお笑い芸人を目指すことを決意。吉本興業の養成所NSCに入学します。
ただ、障害を笑いに出来る海外の文化とは異なり、日本で障害を笑いにするのは賛否両論でうまくいかなかったようです。
芸人の次は車椅子ホストに
お笑い芸人をやめようか悩んでいる頃、尊敬する先輩から「人と話す仕事を続けた方がいいよ。ホストをしてみたら?」と言われ新宿歌舞伎町のホストクラブで車椅子ホストへ転身。
ホスト=女性を騙す、という偏見があったそうですが、職場の方たちの温かい励ましでそんな偏見も無くなっていったそうです。
現在は
現在は、ホストを卒業し、書店員をしながら、youtuberとしても活躍中です。
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まとめ
今やyoutuberとしても紹介されるようになった寺田ユースケさん。以前HELPUSHで勘違いを起こした様子や、寺田ユースケさんの生い立ち、結婚エピソードなどをまとめました。
寺田ユースケさんは2019年1月7日、ZOZOTOWN前澤社長のお年玉企画にも当選し、100万円で障害者に服をプレゼントし表参道を歩きたい!と意気込んでいます。
今後のご活躍にも注目していきたいですね。最後までお読みいただきありがとうございました。
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