皆さん、こんにちは。
本当の自分を理解してもらえない、一方的に決めつけられて辛い、そんな孤独感を感じたことはありませんか?
大切な人とのやり取りで、言い争いになって、つい感情的になって相手の言う言葉に傷ついたり、、私は、いっぱい経験あります。
どうしたらその辛い状況から抜け出せるのでしょうか。
目次
どうして苦しいだろう?
「〇〇と言われて、傷ついてしまった」。そんな経験はみんな持っていると思います。直接言われて傷つくこともあれば、間接的に人から聞いて傷つくこともあります。
例えば、ある人から「あなたはいいよね」と言われて、モヤっとしたり、「どうしてあなたはいつもそうなの」と言われてイラッとしたり、あ、これ、全部私の実体験です。笑
他人からすれば大したことないことでも、本当に辛くて泣いてしまうこともありますし、ずっとモヤモヤを引きずってしまうことも多いものです。
私は以前ある人から「こっちは寝る間も惜しんで頑張ってるんだ」と言われて、モヤっとした気持ちになったことがあります。
この、モヤっとする感覚、ついフォーカスして深掘りしてしまうんです。体調が悪かったり、精神的に落ち込んでいるとどんどん引っ張られるような気持ちになります。
人によってはその場で言い返したくなりますよね。私はこう思う、って。でも感情的な場面では言い争いになるのが嫌で、自分を押し殺してしまって何となく済ませてしまうことも多いものです。
意見の相違。本当に相違しているのか?
さて、「こっちは寝る間も惜しんで頑張ってるんだ」と言われて、モヤっとした私は、その場では反論せずやり過ごしました。
相手の言葉から「こっちは大変な思いをしているのだから協力するべきだ」「協力してくれないあなたはひどい」と、私は解釈していました。
でも私は心の中ではしっかり反論していました。
「寝る間も惜しんで頑張ることが正しいわけではない」「無理して頑張って体を壊したら意味がない」「そもそも寝る間もなくなるほど負荷を受け取るあなたの自業自得」「自分が望んで招いたことでしょ」と。
いったん、自分の中で反論して、なんとなく納得してやり過ごしたのですが、でも何日経ってもずっとモヤモヤするのです。何だか苦しい、、なぜだろう?
そんなとき、ある本の、とある一節を見て、私は見入ってしまいました。そこにはこう書いてあったのです。
「自己弁護しているときはいつも、相手の意見も自分が支持している」
自己弁護の本質は「自分を」説得している。
自己弁護は、意見が対立したとき、自分の正当性を主張して自分を守ろうとする行為です。
目に止まった本にはこう書いてありました。
自己弁護とは、自分自身に「言い聞かせている」状態のこと。こっちの方が正しいと、何度も「自分を」説得しようとしている。どうして説得が必要なのか?
それは、あなたが相手の意見を「正しい」と思っているから。
読んで絶句しました。でも、思い当たるフシがあるのです。
「寝る間も惜しんで頑張ることが正しいわけではない」と私は心の中で反論しつつも、どこかで「寝る間も惜しんで頑張るあなたは正しい」と認めているのです。
感情が揺らぐのは、本当の私は相手の意見を支持していたから。そして、本当の私は、協力しいない自分を心の中で裁いていたのです。
人は人を傷つける事はできない。自分自身で勝手に傷ついただけ。
この本のくだりを読んで、私は初めて自分の「モヤっ」に冷静に向き合えたような気がしました。
もし私が「役立たず」と言われて傷つくのだとしたら、それは私自身が「役立たず」だと認めているからです。自分で思っていなければ、人から言われても傷つきませんから。
片側だけの意見を支持すると苦しくなる。
相手が言った言葉で傷ついたのだとしたら、自分自身がそう思っているから。私はこのことに気づいても、やっぱり苦しさは消えませんでした。
そして、どうして苦しいのかと考えてみると、一方の意見ばかりを支持しようとする私がいたのです。どちらも私の意見なのにね。笑
例えば、サッカーの試合で、日本が負けたら日本人は悔しいですよね。でももし自分が、相手の国と日本とのハーフだったらどうでしょう。どっちが負けても勝っても、悔しくないですよね。もし悔しいとしたら、それはどちらか片方だけを支持しているときです。
どちらが勝ってもいい、どちらが負けてもいい、どちらも自分の国なのだから。サッカーなら良いですが、戦争となればむしろ争わないで欲しい、そう思う人もいるかもしれません。
そこには、両方が自分であると気づいて、少し離れて眺める視点があります。
どちらも私の意見なのだ、どちらも正しいのだ、とその両方の意見を受け取って、少し俯瞰したとき、私は不思議と楽になれたような気がしたのでした。
大切なのは他人の声ではない、「あなた」の声を聴くこと。
私はこの考え方に出会って随分と救われています。自分と違う意見の人が何を言っても、少し俯瞰してみる感覚を手に入れたのです。
この心理的に「傷つく」「イラッとする」「モヤっとする」状態を味わったとき、どれも基本的には同じで、自分の感情が揺らぐとき、というのは実はチャンスなのです。
相手の意見も自分の意見であると気づけるし、自分が勝手に思い込んだ、片方だけが正しいという「審判の目」に気づけるからです。
この「審判の目」はとても厄介です。どこかで必ず巡り巡って、自分自身を傷つけることになります。
本当に「モヤっ」とも「イラっ」ともしなくなったとき、本当に両方の意見を受け入れられるようになるのかもしれません。
大切なのは他人の声ではない、「あなた」の声を聴くこと。
「モヤっ」「イラっ」という自分の感情の揺れは、「あなた」にしか気づけないし感じられないものです。言い方を変えれば、あなたにしか大切にできないもの、とも言えます。
自分のなかの微かな声を、無視せずに、ぜひ優しく拾ってあげてくださいね。