2022年10月31日付でジャニーズ事務の副社長を辞任した滝沢秀明さん。
2024年現在は、新事務所『TOBE(トゥービー)』の社長として活躍しています。
アイドル時代には”タッキー”の愛称で親しまれた滝沢秀明さんですが、どうやら壮絶な生い立ちを持っているとか。
そこでここでは、滝沢秀明さんの生い立ちにまつわる
- 両親の離婚で超極貧な幼少期
- 父親3人の複雑な環境
- 兄の死や異父兄弟4人
- ジャニーズ事務所入りの秘話
について詳しく紹介します
ぜひ、最後までお付き合いくださいね!
滝沢秀明の生い立ちが壮絶!
東京都八王子市出身の滝沢秀明さんは、3歳上の姉と2歳上の兄がいる3人兄弟の末っ子として誕生。
どうやら滝沢さんは、病院の長イスで生まれたというエピソードを持っているようです。
母親の出産が間に合わず、分娩台に上がる前に待合室のベンチで出産したといいます。
幸い命に別状はなくスクスクと育った滝沢秀明さんですが、その後の人生があまりにも壮絶でした。
両親の離婚で超極貧な幼少期
滝沢秀明さんが幼稚園の時に両親が離婚。父親一人が家から出て行きました。
父と母の離婚で、祖母・母親・兄・姉・本人の5人家族で暮らすことに。
実は滝沢さんは、父親からは愛情を受けた記憶がないと感じていたそうです。
そんな父親から、唯一愛情を感じたエピソードがあったのですが、その内容があまりにも切ない。
ある日、父親から「車の荷台に荷物を運んで欲しい」と頼まれた滝沢さんは、笑顔で手伝ったといいます。
しかし、父親の目的は引越し。滝沢さんは父との別れとも知らずに、頼みごとを喜んで聞いてしまったようです。
父が家を出て行ってからというもの、家族の生活は一変。
母親は朝から夜遅くまで働いたようですが、育ち盛りの子供3人を抱えた家計は苦しかったといいます。
鉛筆や消しゴムすら満足に買えない極貧生活。友達からは「貧乏」と馬鹿にされたことも。
時には、学校の落とし物を自分のものと偽って使っていた滝沢さん。着る物にも困り、真冬でもタンクトップと短パン生活を送っていたとか。
短パン姿の滝沢さんを見た校長先生は「みんなもこの子達みたいに元気になりなさい」と言ってくれたようですが、複雑な心境だったそうです。
いじめられるのが嫌で、クリスマスの作文では父からバイクをプレゼントしてもらったとウソをついたり。
食べるものが無く、帰りの遅い母を待つ間、兄弟で1つのお菓子を分け合って食事の代わりにしたこともあったといいます。
というのはファンの間では有名な話。
兄弟は面倒はみてくれるものの、やはり親代わりとはいかなかったようです。
一刻も早くこの極貧生活から抜け出したくて、中学の頃には「どうやったら子供でも働けるんだろう」と考えていた滝沢さん。
母を楽にさせたい一心で、13歳でジャニーズ事務所に入所しました。
滝沢秀明は両親の離婚で父親3人?
実は、滝沢秀明さんには3人の父親がいます。
1人目は実の父親で、幼少期の頃に両親の離婚で別れて暮らすことに。
2人目の父親は母親の再婚相手。滝沢秀明さんにとっては継父になります。
母親が再婚するまで、滝沢秀明さんの名字は「指田」でしたが、再婚を機に名字が滝沢へ変わったそうです。
滝沢秀明という名前は本名なんですね。
3人目の父親はジャニー喜多川さん。こちらについては、後ほど詳しく紹介します。
母親は再婚相手との間に子供を授かり、男の子を出産。滝沢秀明さんにとっての弟となりました。
滝沢さんの兄弟構成は、姉・兄・本人・異父弟という4人兄弟。
父親違いの弟についてはほとんど情報がありませんし、滝沢さんの口から明かされたこともありません。
この頃の滝沢さんは既にジャニーズ事務所に入所しており、ひょっとすると弟とは一度も暮らしていない可能性が高そうです。
滝沢秀明は貧乏から抜け出すためジャニーズに!
滝沢秀明さんは早く稼ぎたいとの気持ちで、13歳でジャニーズ事務所に入所。決して、ジャニーズやアイドルに憧れて入所したわけではありません。
金スマに出演した際、「どこでもよかったんです」と告白した滝沢さんは、極貧生活を抜け出したかったと胸中を語りました。
滝沢秀明さんはオーディションでは自己アピールもダンスもできず落ちたと思ったようですが、その目つきは真剣そのものでした。
そこを、ジャニー喜多川社長に見出されます。
貧困から抜け出したいという、滝沢さんの熱意が溢れていたのかもしれませんね。
ジャニー喜多川社長から直接電話があり、いきなり2週間後に舞台でバックダンスを踊ることになった滝沢秀明さん。
その後、13歳でドラマに抜擢されるなど活躍してきます。
滝沢秀明の兄は死去していた!
滝沢秀明さんには2歳上の兄がいます。
そんな兄は渋谷で『東京月島もんじゃ 滝沢家』というもんじゃ焼き屋を開いていたそうです。
ファンの間では有名なお店で、店内には滝沢さんのグッズなども置かれていたとか。
とても繁盛していたというお店ですが、2011年頃に閉店したと囁かれています。
滝沢家、見てきたけど閉店しちゃったのかな?入口のライダーコーナーは置いてなかった。もんじゃ食べたい…
— ぱん☆ちゃん (@pan_chan329) October 13, 2011
もんじゃ焼き店を閉店したその理由は、兄の死去・・・
30代の若さで亡くなったという最愛の兄。オーナーでもある兄が他界したため、お店の存続は厳しかったようです。
死因や詳しい時期などは公表されていませんが、事故死、もしくは病死ではないかとの憶測が飛び交っているとか。
極貧時代を支え合った最愛の兄の死は、とてもショックだったことでしょう。
滝沢秀明【3人目の父親】ジャニー喜多川
滝沢秀明さんにとって、ジャニー喜多川社長は3人目の父親と呼べる存在。
滝沢さんはメディアの取材で、ジャニー喜多川さんについて次のように語っています。
「小さい頃に学ばなきゃいけないことを1から教えてくれた人。どこかで“オヤジ”っていうのはこういう存在なのかな」
初めて“父”という存在を知ったと明かしました。
やはり実の父親や継父のことは、父親とは見れなかったようですね。
貧しかった滝沢秀明さんは、よくジャニー社長に食事に連れて行ってもらったとか。
そんなジャニー喜多川さんの存在は、滝沢さんにとって安心できる居場所になっていきました。
社長のジャニー喜多川さんにリーダーとしての素質を買われ、仕事を通して演出のことから生活の規律のことまで学んだ滝沢さん。
思春期ですから、時には自らの怒りの矛先をジャニー社長に向けることもあったそうですが、社長はいつも優しく受け止めてくれたのだとか。
滝沢秀明さんは、やりがいを感じたことでしょうね。もしかしたら自分の居場所を見つけて嬉しかったのかもしれません。
2019年7月に行われたジャニー喜多川さんの葬儀では、遺影を抱えた滝沢さんの姿も確認できます。
ジャニー社長の死去後には『養子縁組説』も飛び出すほど、滝沢秀明さんと社長の関係は特別だったようです。
16歳のとき引退を思いとどまった理由
ジャニー社長に見出されて、ジャニーズ事務所で特別扱いを受けていた滝沢秀明さん。
リーダーとしての責任は重たく、その重圧はかなりのものだったようです。
プライベートでもJr.メンバーに何かがあると、メンバーを代表して謝りに行っていたとか。
耐え切れず16歳の頃に1度だけ引退を考えたこともあるといいますが、母親の「帰ってきなさい」という言葉で思いとどまったそうです。
ジャニーズを辞めて帰ったところで、複雑な6人家族の家庭環境に身をおくのも、きっと苦しかったんじゃないでしょうか。
どちらを選んでも苦しいなら、父親的存在の社長に付いていこうと思ったのかもしれません。
滝沢秀明『三宅健』兄のような存在
数年前に実の兄を亡くされた滝沢秀明さん。
そんな滝沢さんにとって、三宅健さんは兄貴のような存在だと語りました。
バラエティー番組『櫻井・有吉のTHE夜会』では、実兄の死と三宅健さんに対する思いを告白したそうです。
手紙では「健くんとの出会いは、まさに兄貴のような方との出会いでもあります」とはっきりとコメントしています。
Jrの後輩たちにとってだけでなく、実兄を失った滝沢秀明さんにとって三宅健さんの存在は大きかったようですね。
ジャニーズ事務所に自分の居場所を見出した
ジャニー喜多川社長がその素質を見出された滝沢秀明さん。滝沢秀明さんはリーダー、そして教育係としての素質もあったようです。
入所1年目からジャニーズJr.のオーディションの面接官も務めたりなど、特別扱いは有名でした。
ジャニーズJr.の5名から結成された嵐。滝沢さんは嵐を結成する時も、今後のジュニアをどうするか?ジャニーさんと相談していたとか。
滝沢さんが嵐のメンバーではないことに当時のJrは動揺したようですが、Jrを守っていく大事な役割を任されたそうです。
Jr.を卒業した後も、後輩Jr.たちの育成や教育に力を注いだという滝沢秀明さん。
事務所では、後輩たちから「頼れるお兄ちゃん的な存在になっていた」といいます。
後輩を頭ごなしに怒らない、喧嘩をした時にはキスをさせて仲直りさせるなど、ちょっとユニークではありますが、教育係としても力を発揮してたそう。
複雑な生い立ちを持っている滝沢さんにとって、ジャニーズ事務所は家族同然の居場所だったのかもしれませんね。
滝沢秀明ジャニーズ事務所【副社長辞任】理由は?
2019年にジャニーズ事務所の副社長に就任した滝沢秀明さんは、ジャニーズアイランドの代表取締役社長も兼任します。
裏方として尽力された滝沢さんですが、2022年10月31日付で辞任を発表。
FRIDAYの報道よると、滝沢さんはジャニーズ事務所と決別したそうで、事務所内で分裂が起きてしまったとか。
「ジャニー喜多川氏が亡くなった後、事務所内がジャニーさんの遺志を継ぐ”滝沢派”と、藤島ジュリー景子社長(56)を支持する”ジュリー派”に分裂したのです。滝沢副社長はライブ配信やYouTubeチャンネルの開設などにも積極的。タレントを育て、いかに輝かせるかに腐心するプロデューサータイプで、ビジネス最優先のジュリー社長とはそりが合わなかった」(テレビ局関係者)
引用元:Yahooニュース
一時は引退説も浮上していた滝沢さんですが、2023年3月21日に芸能事務所『TOBE』を設立。
同事務所には兄のように慕っている三宅健さん・King & Princeの元メンバー平野紫耀さん・神宮寺勇太さんも所属しています。
タレント時代には『タッキー』の愛称で親しまれた滝沢さんのプロフィールをご覧ください。
滝沢秀明のプロフィール
生年月日 | 1982年3月29日(42歳) |
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出身地 | 日本・東京都八王子市 |
身長 | 169 cm |
血液型 | A型 |
職業 | 歌手・俳優・タレント |
ジャンル | テレビドラマ・舞台・CM |
活動期間 | 1995年4月23日 – 2018年 |
所属 | ジャニーズ事務所 |
滝沢秀明さんは、自分で履歴書を送り、オーディションを経て1995年に13歳でジャニーズ事務所に入所します。
15歳の頃から社長のジャニー喜多川さんにリーダーとしての素質を買われ、ジャニーズJr.のリーダーとして活動。
また、ジャニー喜多川さんに頼まれて、入所1年目からジャニーズJr.のオーディションの面接官も務めていたました。
ファンから絶大な人気を誇り、やや別格扱いを受けていたことから「小さいジャニーさん」とも呼ばれていたそうです。
そんな滝沢さんは2019年1月15日、ジャニーズ事務所の子会社『ジャニーズアイランド』の社長に就任。
芸能界を引退し、裏方に徹することのなったのですが…。2022年10月31日に辞任を発表しました。
いったい滝沢秀明さんに何があったというのでしょう。
ちなみに、後任の社長は井ノ原快彦さんが引き継いでいます。
滝沢秀明『生い立ち』まとめ
滝沢秀明さんの生い立ちやジャニー喜多川社長との関係について紹介しました。
壮絶な生い立ちを背負っている滝沢秀明さん。
3人目の父親と慕うジャニー喜多川さんの後を継ぎ、副社長に就任したのですが、電撃辞任で世間を騒然とさせてました。
そんな滝沢秀明さんは2023年3月、新事務所『TOBE』を設立。現在は社長として活躍されているようです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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