トレンド

五木ひろしは韓国人だった?父親が韓国系技師、五木ひろしの出生名は李和夫!



実は、五木ひろしさんのルーツは韓国らしい?

芸能界にも、在日の方はたくさんいますが、「えっ?この人もそうだったの?」と思うとびっくりですよね。

今日は、五木ひろしさんのプロフィールと生い立ちから韓国のルーツについて調べてみました。





五木ひろしのプロフィール 出生名は李和夫

本名:李数夫(出生名:松山数夫)

生年月日:1948年3月24日

出身:京都府

生い立ち:福井県

帰化年月日:1973年4月18日

仕事:日本を代表する演歌歌手、作曲家

芸名に関しては過去5回の改名の歴史があり、五木ひろしとして活動する現在でも別名で松山かずお(作曲時のペンネーム)、松園明(特別講演、歌謡ショー、構成・出演時の名前)として活躍中です。事務所は株式会社五木プロモーション。2007年には紫綬褒章を受章しています。

五木ひろしの生い立ち 父親は?

五木ひろしさんの出生名「李数夫」はどこから来ているのでしょう?出生名のルーツは父親と考えられます。

五木ひろしさんの父親は、もともと韓国系の鉱山技師で鉱脈を追って、家族で各地を転々としていました。そして、京都府で五木ひろしさんが誕生します。

それから福井県美浜町に移り、父親は鉱山技師の仕事を辞め、建築用石材を扱う会社を設立しています。

当時の息子の五木ひろしさんの出生名は李和夫でした。

しかしその後、父親はまだ幼い五木ひろしさんと他の息子・娘兄弟たちを残し、自宅を出ていきます。

五木ひろしの生い立ち 母親は?

五木ひろしさんの母親は松山キクノさん。

松山キクノさんは、父親が出ていったあと、まだ幼い五木ひろしさんと他の兄弟の息子、娘たちを女手一つで育て上げました。

そして日本を代表する演歌歌手「五木ひろし」を立派に世に出しました。

数々の苦労もあったことでしょう。福井県で農業をされていたようです。

五木ひろしさんは、有名になって以後、母親のために家を建てたり、『ザ・ベストテン』(TBS系)を実家から中継するなど、母親思いな側面を見せています。

それには、子供の頃の苦労のエピソードが影響しているのかもしれません。

五木ひろしさんは本名を李和夫から松山数夫に改名していますね。現在の本名「松山数夫」のルーツは母親から来ているのですね。また、のちに日本へ帰化して日本国籍で日本人となります。

五木ひろし 芸名に込められた思い

五木ひろしさんは、大ブレイクするまでは、不遇の時代を過ごしており、デビュー後も乱高下のある活動で転々としていました。

そのため芸名も5回もの改名を繰り返し、現在の「五木ひろし」となりました。

五木ひろし」という芸名には、良いツキを拾おうという意味が込められているそう。

大ブレイク後はずっとトップランナーで走り続けています。

昨年に引き続き、今年のディナーショーお値段ランキングでもトップに輝いた、五木ひろしさん。今年で41回目の開催ですが、5万1500円という金額でも毎年ファンが集まっています。 

数多くの苦労の経験が、多くの人を感動させ惹きつけてやまないのでしょうね。

最後までお読みいただきありがとうございました。