矢沢永吉

全国矢沢連盟を総会長が作った目的は?前身の関西矢沢連合会がヤバかった!!

今回は、総会長・笠井孝二さんが全国矢沢連盟をが作った目的、そして笠井さんが立ち上げた前身組織・関西矢沢連合会の末路について取り上げます。

矢沢永吉さんの熱狂的ファンが全国各地に私設応援団を作っているようですが、その一つに全国矢沢連盟という組織があります。

2019年1月25日発行の雑誌「昭和の不思議101」に、全国矢沢連盟の総会長・笠井孝二さんへのインタビューが掲載されていました。

書籍『昭和の不思議101』

書籍『昭和の不思議101』

(内容紹介)

全国矢沢連盟と友好団体が集結 永ちゃんと共に長い旅
笠井孝二 絆と信念

今回は、この雑誌で取り上げられている内容について、一部ご紹介したいと思います。

全国矢沢連盟の総会長

同雑誌で、全国矢沢連盟の総会長として紹介されているのは、笠井孝二さんです。

笠井さんは、1980年代から矢沢永吉の応援を続けている支援団体の筆頭です。

前身の関西矢沢連合会

関西矢沢連合会の勢力拡大

 総会長・笠井さんが最初に立ち上げたのは「関西矢沢連合会」でした。

当時は先輩が会長をしていたそうですが、笠井さんは先輩にはあまり頼らず率先して組織を引っ張っていったそうです。どのように勢力を拡大したのか、、。

元々僕が、”西日本を統一しよう”と言っていたんで、尼崎の方のチームから順番に喧嘩してて、岡山、広島、九州とちょっとずつ西を攻めていって。

特に九州は矢沢ファンが熱かったですね。その頃はまだ『永心会』(初期に大勢力を誇った全国的矢沢応援チーム。現在は入場禁止となる)もありましたし、人数も多いし、

大坂のその当時より10年はさかのぼったような悪いヤツが多かったですね

(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

「西日本統一」を掲げて喧嘩しながら西へ進軍した笠井さん。避けられない修羅場も多かったようです。ただ、勢力拡大の鍵は、実は腕力ではなく話合いだったとか。

腕力は一部、あとはやっぱり《話》ですかね。俺もどっちかというと賢い方ではないけど、”ヤザワひとつでやろうぜ!”という信念は、人に負けることがなかったからね

(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

笠井さんの情熱もあり関西矢沢連合会は瞬く間に勢力拡大。人数は500人を超える規模になっていきました。

肥大化した関西矢沢連合会の末路

しかし、肥大化した組織は次第に歪を見せ始めました。大きくなりすぎて、

  • 顔役みたいなのがあちこちに生まれ、チケットの売買を裏でやる
  • カメラマンから回してもらった生写真に色を付けて売る

ということが起きてしまいます。これが矢沢さんサイドの耳に入り、お金絡みで揉めてしまいました。

極めつけは会長の横領。横浜アリーナに行くときにみんなで集めたお金を会長がかする(懐に入れる)という事が起きてしまいました。

“さぁ行こか”って時に先輩が来て、手違いでバスが来ないみたいなことを言い出したんで、

怒りとヤザワのライブに行きたいという気持ちが抑えられへんで、みんなで追い込みかけまくったんです。

その先輩も弟も地元のスジもんやったけど、九州にまで逃げたんで仲間使って追いかけて、お金だけは取り戻したんです

(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

笠井さんは、この会長の横領をきっかけに、「関西矢沢連合会」の解散を決意したそうです。「関西矢沢連合会」という名前が独り歩きして、

“裏ではダフ屋行為してたり写真を売ってたりとか、アイツら実は無茶苦茶やぞ”

という評判がたってしまったことも、解散を決意した背景にあったようです。

全国矢沢連盟を総会長が作ったのはなぜ

目的は全国統一

関西矢沢連合会を解散した後、笠井さんは、少ない仲間と新たな応援団体を立ち上げました。

九州、名古屋、岡山、広島とかの幹部連中に話をして、”『全国矢沢連盟』という名前でやるぞ”と。

“西は固まったから今度は東を目指そう”と。そういうことで立ち上げたのが『全国矢沢連盟』です

(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

笠井さんが会長になり、その下は全国各県の会長が並ぶ組織作りのために、北海道から九州まで全国を駆け巡りました。

西と東の衝突

《関西》が《全国》を名乗ることで、《関東》も黙ってはいなかったようです。

“オマエんところ『全国矢沢連盟』ってどういうことや”と。東京進出しようとしたら群馬の連中が出てきたんですよ。(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

なんかもう、、ドラマですね。熱い!!

このとき、西日本から人数を集めて群馬に行くということになり「武道館で落ち合おう」ということになりましたが、、最終的には、

俺らが向こうに行った瞬間に武道館の駐車場のところで一斉に30人くらいがきて

“笠井さんですか?『全国矢沢連盟』を潰しにかかろうとした張本人はクビにして僕が後を引き継ぎました”と。

それで30人が俺のところに謝罪に来て”あかんかったら頭を丸坊主にしてくれ”とバリカン持ってきたんで。

そこが東とぶつかる最初の接点ですが、その時の群馬のリーダーも俺の右腕となって働いてくれてます

(引用元:雑誌「昭和の不思議101」)

笠井さんの凄みに東が折れて、不戦勝で終わったようです。

まとめ

2019年1月25日発売の雑誌「昭和の不思議101」に、全国矢沢連盟の総会長・笠井孝二さんへのインタビューが掲載されていましたので、その内容の一部をご紹介しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。